風の色
- 風の色(一)
- 2021.08.11
ブログタイトルの「風の色」
それは、私の師匠である二代目住職(父)が伝道ハガキとして30年前に書き綴った記録です
自らの体験をテーマに、壇信徒に語りかけたありのままをお伝えします
不定期掲載ではありますが、お読み頂けたら幸いです
風の色(一)
『どのようなものでもありのまま(真実)の姿をもっている』
実は、この言葉を、テーマ“風の色”の出発点としたいと思う。
文字ひとつ読めない幼い時から厳格な師父にお題目や経文をたたきこまれ、骨の髄まで滲み込んでいた当時のことが思い出される。
毎朝、眠い目をこすりながらのお経練習である。
当然のことながら頭半分醒めていないものだから、好い加減なお題目や経文を唱えることになる。
そのような時、決まって師父の目の醒めるような鉄槌が降ろされ、ために大粒の涙で経本が曇って見えず、しかも泣いてしやくりあげるため声も満足に出ないものだから二の鉄槌が容赦なく飛び込んでくる。
ますます全身が緊張し、特に合掌している腕や手の先まで震えて止まらなかった時は、幼い心に自分は呼吸が止まり、この場で死ぬのではないかと何度か思った程である。
とうに、普通の親を超えていた師父のやり方をどれほど憎んだか知れない。
しかし、今思えば二度と無い親子の縁、超えて私に鞭を打った師父を有り難いと思う。
何も特別優れた師父ではないが、ただ法灯を継承する者にとって大切な心魂を鍛えたい一心であったのではないか。にもかかわらず今もってそれに応えていない自分であることを知っている。だから私にとって《お坊さんにとってのお坊さんとは何か》という真のアイデンティティーは乏しいと思うが、もしかしたら、それがありのままの姿なのかも知れない。
残暑の今、汗を流しながらの朝勤に、経文の一々文々が私の心魂を盛んにゆさぶっている。
合掌