風の色
- 祈りと信仰(二十九)
- 2023.06.04
祈りと信仰(二十九)
ひと昔前になるが、ある大手のデパートに勤務したM子さんの体験談。
彼女の仕事は、エスカレーターの前に立って一日中頭を深々と押し下げ、かつ丁寧に、「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」・・・を繰り返すだけである。
所が、一ヶ月後、突然欠勤してしまった。
理由は、自分が馬鹿らしくなったとのこと。
しかし、心配した先輩の一言で復帰出来た。
その一言とは「自分も神様だが、来客も神様と思い、常に謙虚な気持でやってみなさい」という。
今では、ベテランの研修係、新採用者を集めては人と接する大切な原点を「謙虚な心」をモットーに活躍中である。
虚心坦懐という言葉がある。
辞書には愛憎の念がなく公平な態度とあるがまさに謙虚な心(あらゆるものに対する愛)に通じていると思える。
日蓮聖人の歌と伝えられるものに
「皆人を渡しはてんとせしほどにわが身はもとの真間の継橋」
宮沢賢治の心も、あの「雨ニモマケズ」の詩の心でいうならば、自然と社会と人間に対する謙虚さに満ちている。
そこには、自分のためにがない。
ためにする行為には利己が先立つようでならない。
何をおいても自分の立場や利益を優先する人の多い世の中、肝に銘じたいものである。
前述の歌は、生れながらに備わっている他を先に渡すはたらきである佛性に開目することを今の私たちに呼び掛けてるようでならない。
- 祈りと信仰(二十八)
- 2023.05.28
祈りと信仰(二十八)
今朝も、そう遠くない車道から元気で威勢のよい声が聞こえてきた。
スタンドにガソリンを給油する客に向かっての挨拶である。
また、普段でも、給油を終えて帰っていく車(人間?)に帽子をとり、数秒間腰を深々と曲げている姿を見ることがある。
しかし、彼等が果たしてこの大切なサービスの心を心としてどれだけ日常生活に活かしているだろうかと思う時がある。
ひと昔前になるが、ある大手のデパートに勤務したM子さんの体験談。
彼女の仕事は、エスカレーターの前に立って一日中頭を深々と押し下げ、かつ丁寧に、「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」々々々・・・を繰り返すだけである。
所が、一ヶ月後、突然欠勤してしまった。
理由は、自分が馬鹿らしくなったとのこと。
しかし、心配した先輩の一言で復帰出来た。
その一言とは「自分も神様だが、来客も神様と思い、常に謙虚な気持でやってみなさい」という。
今では、ベテランの教育係として、人と接する大切な原点を「謙虚な心」をモットーに活躍中である。
虚心坦懐という言葉がある。
辞書には愛憎の念がなく公平な態度とあるが
まさに謙虚な心に通じている。
更に、その心のはからいをたずねれば、尊厳なる人間の魂(佛性)に向かって呼び掛けているものではないかと思う。
とくと日蓮聖人の御詠と伝えられる次の歌をかみしめたいものである。
「皆人を渡しはてんとせしほどに、わが身はもとの真間の継橋」
- 祈りと信仰(二十七)
- 2023.05.21
祈りと信仰(二十七)
佛門に入った方ならご存じの感応道交という言葉がある。
簡単にいえば、佛天と心が通いあう境地である。心が通うとは私たちの凡心が佛天に摂取され佛天の御心がそのまま凡心に伝わることかも知れない。
佛心に生きるとはこれを抜きにしてはあり得ない。
何もしないでいて感応道交するはずもないが、誰でも大慈悲心をもって生きたいと望んでいる。
所で、佛教のいわゆる四苦八苦の中で怨憎会苦といってこの世では誰しも憎しみ会う人と一緒に生きねばならない苦しみを意味している。
どんなに豊かで便利な世の中になっても人間である限りそこからは逃れられない。
そこからの解脱の扉は、己を変える「鍵」でなければ開いてくれない。
「己を変える」とは、なまやさしいものではない。
しかし、佛天と心が通じることによって可能としたのが佛教である。
具体的には成佛の姿。
だいぶ前からだが、毎朝の勤行が終わり、更衣前にかなり大きな声で「おはようございます」と合掌して挨拶をしている。
人間に限らず私が生かして頂いているあらゆるものを対象に行う感謝の祈りに近いものである。
さて、私の祈りといえば、小さい時から唱えてきた「南無妙法蓮華経」である。
声にだして唱えるのは朝夕の勤行ということになるが、心の中や咽喉のあたりでも唱えているから眠っていない限り四六時中祈っている事になる。
共に凡心を素直に佛天に呼び掛けている所作に過ぎないが、結句、己を変える(己に帰る)よすがと信じてやまない。
- 祈りと信仰(二十六)
- 2023.05.14
祈りと信仰(二十六)
「父帰る喜ぶ顔は犬ばかり」
「お疲れさま給料ほどの妻の声」
二句とも最近の月刊雑誌『川柳に見る“疲労大国”日本のオトーサンたち』の一部転載であるが、他人ごとではない。
普段から身につまされているオトーサン(?)に限らず日本人の大半が疲労している様子を改めて考えさせられた。
世の中、忙しさのあまり自分を見失いかけ、加えてその悲哀の渦の中でもがいている様な気がしてならない。
仕事一途に生きてきたサラリーマンK氏の場合である。
彼が定年後に、狭い会社付き合いとは趣の異なったいわゆる近隣の世間的な対人関係に入っていけず、急にフケ込んでしまい、内心行く末、孤独で寂しい人生に不安を感じてきたという。
そのK氏いわく「不安になって初めて自分と向き合っている人間の姿が見えた」と。
今時、静かに自分を見つめる時と場所があるだろうか。さしずめ家庭のトイレがロイヤルボックスと真面目にいう人がいる。
さて、千葉刑務所に教誨師(刑務所で囚人に説教する方)として勤めている井上日宏師(東京都江東区玉泉寺住職)の体験談に耳を傾けよう。
死刑囚と決まった人からの一通の手紙に「悪いことをして入獄して死刑囚に決まってから自分を内面的に見て・・・はじめて人間というものを自覚した時、いつでも死ねるようになった云々」
所詮、はじめから人間なのに、何故かそれと気がつくのに遅すぎる。
- 祈りと信仰(二十五)
- 2023.05.07
祈りと信仰(二十五)
私の小さい頃と今とでは、お盆も種々様変わりしている。
前は、日が暮れる頃からぽつぽつ来られ、夜の八時ごろになると暗い墓地のあちこちに迎え火が灯り、辺りが賑わいでくる。
その明かりに照らされた合掌の姿が幼な心にも清楚で美しかったという印象である。
今は、早朝からの墓参である。
夜になると人もまばらで八時にはほとんど影もない。
しかも、迎え火を灯す方も希である。
服装も、その多くは、よそ行きから普段着へと変わった。
ある人いわく「早めに済ませたい、しかも涼しいうちにお参りしたい」と。
お盆に限らず今の時代は、自分の楽を優先し、更に略せるものなら手短に主義になってしまった。
ある葬儀に出座した時である。
驚くほど短いものであった。
葬儀が終わって退場する廊下でその導師である住職に囁いた人がいた。
「今日のはスマートで大変よかったですよ」である。
昔の方々は時を大事に考えた。
だからその場なりの時を心得ていたから手抜きなど互いに出来なかった。
また、特に神仏に対する畏敬の念が深く、それがため神社仏閣に詣でる姿は正装に近い所以である。
時と云い姿と云い今昔はあるが、人の心には今昔はないはず。
「掌を合わせ昨日今日明日のこと、墓石に映つる吾が心」
- 祈りと信仰(二十四)
- 2023.04.30
祈りと信仰(二十四)
私の人生、目下「二足のわらじ」の行脚中である。
両方ともだいぶ底が擦り切れて、所々穴が空いてきたように思う。
当然ながら、日により時によりその「わらじ」を履き代えなければならない。
しかし、時には、学校の「わらじ」を履いたまま「お寺」のそれを履いたり、逆に「お寺」の「わらじ」のままで教壇に立つ時もある。
二重履きによる葛藤もあるが、それはそれで妙味と思っている。
さて「あなたの人生は何の為にあるのですか」と、天から問われたとしたら、誰もが即座に応えられるであろうか。
私ならずとも『未熟で非才の者ですが、世のため人のために尽力したいと思います』と応えるであろう。
何故なら、この菩薩行しかないからである。
所で、この菩薩行は、誰でも出来そうで意外と難しい。
それは、人間というものは、自分中心主義で自分の行いが一番正しいと思い込んでいる。
為に顧みて他を思いやる心が乏しくなるからである。
菩薩行が菩薩行たらしめる為には、まず、生き方の舵取りである心の向きを正さなければならない。
「心の向き」をかえるとは、自分の我が侭の心を菩薩の心(佛心)に向ける事である。
「二足のわらじ」でも、結句、菩薩が歩く「心のわらじ」一足でしか生きられないことがわかりかけてきた。
長旅も振り返れば昨日の路 色も形もかわらざりき
- 祈りと信仰(二十三)
- 2023.04.23
祈りと信仰(二十三)
毎朝の勤行はご本佛様や十方の諸菩薩様に対する挨拶と祈りである。
もともと挨拶とは「ここに自分がいます。よろしく」と云うことである。
私事で恐縮だが、今の息子や娘が誕生した時に果たして初対面の挨拶をしたろうかと反省している。
今思えば、心から「ようこそお誕生おめでとう」と云って挨拶したかったが今では遅い。
そのくせ生後ときたら、無礼極まりなく言葉の乱射を浴びせてしまい、言い過ぎた言葉だからといって相手の心に消しゴムを当てれないから悔いを残しつつ諦めている。
また、師父の臨終の時も「お世話になりました。さようなら」の言葉もかけれなかった。
つまりきちんと挨拶ができなかったのだ。
何故だろうかと己の心に問いつつ深く懺悔している。
ちなみに上杉謙信の「遺訓」十六カ条の中から一つを紹介してみる。
『心におごりなき時は人を敬う』
何事も自分だけで生きている時は本当の自己が見えないから、相手を敬う心を失ってしまうもので、古今に通じる道理である。
さすが、上杉謙信、自ら毘沙門天の化身としての祈りであり、かつ挨拶だったに相違ない。
一方、人間の顔は、心のひだの表現である。言葉は次に出てくる。
だから心のこもらない言葉は常に不自然で、顔も心のひだが映るからごまかせない。
神仏を鏡に、己を照らして生きている方々を見れば一目瞭然である
- 祈りと信仰(二十二)
- 2023.04.16
祈りと信仰(二十二)
以前久慈高校で卒業担任だった頃、二三の生徒にせがまれて色紙攻めにあったことがある。
初め月並な言葉を書こうとしたが、種々考えた末、自分の今の心境を素直に表現することしかないと決め、『何をしたらよいか わからない』と、閑の過ごし方がわからない事を書いたことがある。
十九世紀の中頃、中国清王朝の曾国藩という人物は、常日頃から座右の銘として「四耐」を心がけていたという。
一つは、「耐冷」といって世間からの冷たい目で見られることに耐え、
二には、「耐苦」といってどのような苦しみにも耐え、
三には、「耐煩」といって煩わしさに耐え、
四には、「耐閑」といって閑に耐えることが大切であると云っている。
どれも実践出来にくい事ばかりであるが、特に最後の閑に耐える事が一番至難のようである。
何故かというと、閑になると欲に任せて、つい我が侭になって自分を弄び、空しい時を過ごしてしまうからである。
確かに若者にとって、閑は毒にこそなれ益にはならないが、人生の大半を仕事に費やした人にとっては、神仏が与えた閑と向かい合うことで人生の総仕上げともいうべき「自己と出会う」チャンスではないかと思う。
よく、京の染職人が、生地の発色を出すために、寒風の中、京の桂川で長時間水に晒す夕禅流しをするのも染色の総仕上げにかかせない工程である事を聞いたことがあるが、耐閑の意味は甚だ深い。
- 祈りと信仰(二十一)
- 2023.04.09
祈りと信仰(二十一)
先日、ある大手の会社に勤める部長の娘さんから、ふとした事で父親の思いもかけぬ姿に出会い、普段の家庭での姿とあまりの違い差に衝撃を受けたことを聞いた。
たまたま父のもとへ届ける用事があって、その朝父の会社に寄った時の事だそうである。
急ぎ足で玄関先に現れたのが父だった。
何やら車から降りた社長のような人に近づいて丁重に頭を下げて挨拶をし、すぐその方の持ち物をすぐ小脇に抱えてかなり緊張した顔で先を歩く姿を垣間見て、家庭ではこせこせしない大らかさをもつ泰然自若たる父親を誇りにさえ感じていたが、あの日の父は別人でないかと目を疑ったというのである。
宮仕え故の男の苦労は家族の目には毒である。
所で、男だけの苦労かと云えばさにあらず、滅多に夫にお茶をだしたことのない会社勤めの婦人が、毎朝社員にお茶をサービスするという話も聞いたことがあるが、職業柄とはいえ、共に虚像でありたいものである。
では、何処にいる時が、本当の姿なのかと考えるが、意外と嘘の自分なんか何処にもなくすべてが本当の姿なのかも知れない。
つまるところ、虚実が表になり裏になったりするのが人間の偽らざる姿と云うべきだろう。
実に、心の舵取り一つでどんな役柄をも演じる人間は不思議な存在である。
しかし、果たして誰もがその不思議な存在と気がついて生きているだろうか。
法華経は、それに気がついてはじめて真の自己に出会うと説いている
- 祈りと信仰(二十)
- 2023.04.02
祈りと信仰(二十)
資を求めて師を求めざるを嘆く。
「易」の蒙卦に、『道というものは先生(我)が自分から出かけていって生徒(童蒙)に教えるものではなく、生徒(童蒙)のほうから出向いて先生(我)に聞くのが至当である。』との内容が記されている。
今の世の中、溢れる情報社会に毒されて道がかすみかけて、転倒の末、せっかくの法灯の叡智もユータンしそうである。
幕末の私塾の盛んな頃は、師を求めて遊学する志士がいた。そこには、正しい道を求める姿があった。
尊の弟子の一人にマハー・カッサパ(摩訶迦葉)という人物がいた。
「ある日、師(釈尊)と一緒に歩いていた時、師が、ふと道のかたわらにある一樹で休息をとろうとされたのを見て、急いで樹下にいたり、わが僧衣を四つにたたんで座を設け、師に何卒これに坐して頂きたいと申し上げた。そして、快く腰をおろされている師に向かい、どうか私を憐れみ下されまして私の僧衣を納受して頂きたいと丁重に申し上げた。そこで、師は、カッサパよ、わたしの粗末な布の*糞掃衣を受けると申すかというと、カッサパは師の身につけたもうた粗衣の糞掃衣を是非頂戴させて頂きたいと深々と敬礼した。云々」とある。
*「ふんぞうえ」と読み、塵芥の中に捨てられていたぼろきれをつづり合わせてつくった衣。
彼にとってこれほどの喜びはなかったし、さぞ師の心と永遠につながっていることのあかしに感無量だったに違い無い。
まさに、求道の極意である。