風の色

風の色(三十六)
2022.05.08

風の色(三十六) 
最近、何時とはなしに心の中でこんなことを呟いている。
『今、おまえは、人生の中で何か心の中に大切な忘れ物をしていないか』と。
いつものように朝勤を終えて部屋に戻り、着替えをしていろ時に、何故か懐かしい師父の姿が思い浮かんだ。
私が幼い頃のことであろ。
今は亡き師父が、山菜採りのためによく営林署のトロッコで出かけていた。
帰ってくると必ず山菜以外のものを手にしていた。
それは道すがら周辺に捨てられた金具のようなもので、ネジとかボルトといった機械類の部品のようなものが多かったが、その中で特に珍しい大きな健があった。
まるでこれを宝物のように大切に磨いてしまっていた。
今も物置の奥の引き出しに格納されていると思うが、当時は、高邁で厳格な師父の姿からは想像もできず、何となく私の童心に繁がっているようで妙な気持ちだったことを覚えている。
何も役立たないものなのにどうして集めていたのか未だもってわからない。
しかし、いつかきっと役に立つ大切なものと信じていたのかも知れない。
ところで、私に『何か忘れ物をしていないか』と、問うその心の主は果たして誰か、その心の主に出会えばきっと忘れ物の箱の中にある見事な宝物を見せて呉れるに違いないと思った。
そして、その箱を開ける鍵こそ私の生き方の中で見つけなければならないことを。
法華経には、存在する総てのものは、一つとして役立たないものは無いと説いている。
今、日頃から心の主を訪ねていない自分を見つめている。

風の色(三十五)
2022.05.01

風の色(三十五)
先日、久しぶりに本堂の掃除を行った。
およそ半日くらいかかった。
今春までは、自称、寺女(てらおんな)の妻が行っていたが、四月からは、卒業した息子が自坊に奉職するようになったので、専ら息子の仕事になった。
たまたま彼が研修のために不在中ということで、私が買ってでたのである。
ある同門のご住職に云わせれば、本堂の清掃、特にも御宝前だけは絶対に他人に任せないとのことである。
ある意味では専門的な清掃技術を要するものではあるが、必ずしもそうとは言い切れない。
むしろ、御本尊様の棲まわれる宝殿とその前庭を渾身込めて御給仕したいという求道心の発露と受け止めている。
さて、清掃も半ば正座で太鼓の拭き掃除にかかった。
普通にしぼった雑巾で太鼓の胴周りから置き台を拭いていたが、雑巾の水分が一瞬にして吸い摂られていくので驚いた。
かなり太鼓や置き台そのものが渇ききっていたものと思う。
何故かふとその手が止まった。
懐かしい古い本堂でのことが蘇ってきたからである。
小さい頃も、やはり半日くらいかかったと思う。
この太鼓もその当時からのもので、雑巾が擦り切れるくらい必死に磨いたことが瞼に浮かんできた。
しばし向き合っている太鼓から、「初心に帰れ」と諭されているような気分で、妙にも心の中は勿論のこと、辺り一面までが浄土にように感じられた。
太鼓は、非情の物とはいえ遠い過去からお題目を通じて我々を黙々として見つめてきたものであるからおのずから魂を宿している。
この日の本堂掃除から、その魂に触れるという有り難い経験を積ませて頂いた

風の色(三十四)
2022.04.24

風の色(三十四)
「できるのだからしなければならないこと、できるのだからしてはならないこと」
これは、一週間分の壁掛け式の日めくりの一部(木曜日のテーマは《精進》)である。
毎朝、食事前にこの言葉に接する度に心新たにしている。
かつて、唱題行修行の最中に、化主の権藤上人から法華経の最第一の修行は、自我偈(法華経第十六章壽量品の偈文)の中にある『一心欲見佛、不自惜身命』(一心に佛を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず)に尽きるとの言説に深い感動を得た。
いつも佛(ご本佛)の子であることを心に忘れなければ、決して身命も惜しむこともないのに、惜しむ心が涌くのは、佛子の自覚が無い証拠である。
だから佛の御意に叶うような生活を心がけ、鏡に映ったわが姿を佛がその奥から慈悲の眼で看ていることに気がつかなければならないと。
冒頭の前段の言葉は、誰しもがそれぞれの役割に応じて等しく与えられているこの世での使命を全うすることであるが、後段の言葉は、なかなか難しいが、要は、自らが佛の子であることを忘れずに精進せよとの親心と思っている。
今も私の心のどこかに「できないからしてもよい」という甘えがある。
むしろその方が楽でよいが、虚しさだけが尾を引いて離れないのが現実。
所が、法華経の修行観は、暗に辛いことの中に既に真の安楽の種子が含まれていることを示唆している。
だからこそ、この葛藤を超えねばと、この言葉の意味を噛みしめている。

風の色(三十三)
2022.04.17

風の色(三十三)
つい先日、久慈高校の卒業生N君が二十数年ぶりだろうか、何の予告もなく来訪した。
彼は、私が顧問だった郷土史研究会というクラブ活動の一員だった。
やや風変わりで、いつも寂しい後姿が印象的であった。
何時ものことで、学校からの帰途、私の下宿を見れば既に窓は明るくなっていた。
彼が勝手に部屋に入り込んで、私が読みかけていた佛教等に関する本を読んでいた。
私が帰ると「お邪魔してます…」と言ってお茶を沸かして待っていた。
ある日、急に夜中に起こされたことがあった。
玄関に出てみると彼の顔面が涙でクシャクシャ、理由を聞くこともなく静かに床につかせた。
余程の悩みがあったものと察したが、翌日もそのわけを聞き糺すことはなかった。
結局、いろいろなことがあって佛教系の大学に進学したが、三年で中退、窯業に一縷の望みを託して技術を身につけ窯場まで興して独立したが、理想と現実に悩みつつ、酒に身をやつす日々を送っていたらしいが、その後は知る由もなく現在はある宗教団体の幹部。
時を越えても彼と私は以前と何一つ変わっていない。
「実は、自分の今ある姿の九九%は先生なのですが……」
「もともとから君の心中にあった佛種(佛性)に縁を与えただけのこと」
「それを今までの人生の中で芽を育てて様々な花を咲かせてきたと思う」
「そうでしょうか、…………」
「いずれ最終的には蓮華の花であって欲しいが………」
雨の中、彼を見送りつつ、彼との新しい縁が始まることを予感した。

風の色(三十二)
2022.04.10

風の色(三十二)
前回に続き「変化の人」との出会について触れて見たい。
かつて唱題行(精神統一してお題目を唱える行法)がご縁で、全く思いもよらない未知の方、O婦人と出会い、有り難い慈恩に浴したことを述べる。
これこそ一念信解の妙用というか、本佛のはからいそのものと悟ったからである。
当時、O婦人は神奈川県の一村から数時間かけて、東京は練馬区の釈迦本寺(唱題行の道場)に参拝され唱題行に専心されていた。
彼女は岩手県和賀郡のご出身でこの道場の化主である権藤上人から私のことを聞き及び、早速に、同郷を懐かしみつつ実家にあるご先祖の供養の一分として当山宛に相当のご寄進を届けられた(発菩提心)。
現在の庫裡の正面玄関は彼女の菩提心によって出来あがったものである。
次いで、法衣や佛具等お心のこもった布施行にあずかり、まさに「変化の人」をして本佛が私に対して更なる精進を励めとの黙示と了解した。
その後、彼女とは何度かお会いしたが、お題目に無関心なご主人を何とか導き入れたいと事ある度にお話されていた。
その後、ご夫妻で当山を訪れる機会があり本堂で簡単な法要を営んだ際に、何とご主人の口からお題目の声が流れてきた。
彼女は、嬉しさの余り目頭を押さえておられた。
彼女の燃えたつような利欲抜きのお題目信仰は、遂にご主人の佛性をも呼び覚ましたのである。
とかくこの世は「あぁして下さい」「こぅして下さい」という己の願望を優先する信仰態度がはびこっているが、やはり彼女のようでありたい。