風の色

風の色(四十)
2022.06.12

風の色(四十)
『まがれる木は素直なる縄をにくみ偽れる者は正しきまつりごとを心にあわずと思う』
日蓮聖人御遺文《新池殿御消息》
正直者と云えば、今は亡き師父のことを思い出している。
曲がったことが大嫌いでそのために多くの人と真っ向から激突していた。
ほどよいところで妥協しておれば自分の心も痛まずにすんだろうにと思ったことがある。
結局は老獪な世評に押されて悔しがっていた。
もともと短気で誰彼なく罵倒して憚らない性格から、どれほど家族や周りに当たり散らしたか知れない。
そんな師父を見ていてもっと要領よく世渡りができないものかと気の毒な思いをしていた。
しかし、師父の一生がこの生き方で通したことを思えば、へたな処世術を身につけないままで善かったのだと今は思っている。
社会生活の中でよくあることだが、正直者が疎まれる時がある。
邪魔者扱いされるのは自分の純粋な心の中を隠す術を持たないからである。
自分の利欲を優先する人からすれば甚だ疎ましいということになる。
ところで、幼い頃から師父に睨まれるように育ってきた小生にとって、今なお嘘や誤魔化しがすぐ態度に現れてしまう。
そのために今まで恥じいる失敗を幾度となく重ねてきたことを悔やんでいる。
いくら要領が悪くても自分の心に正直に振る舞える心構えを失わずにいたいと思う。
それを支えてくれるのが信仰と思って励んできた。
では、信仰によって培われる心とは何かと問えば、 何時もご本佛様の意(こころ)に包まれていると実感(安心)できる心といえる。
またそのことが己の曲がった心を自然に素直な方に向けてくれるから有り難いと思っている。