風の色

風の色(二十三)
2022.01.30

風の色(二十三)
今から三十数年前、法華経信仰によって全国中のライ患者救済の先頭に立たれた綱脇龍妙という高僧が身延山におられた。
ライ患者と生活を倶にし、法華経による心身の救済に生涯をかけられたまさに現代の菩薩である。
患者の方々はこの高僧を生きた佛様と呼んでいた。
その施設を「深敬園」といった。
この由来は、法華経の第二十章にある常不軽菩薩品の経文の中、「我れ深く汝等を敬う、敢えて軽んぜず」という所からとったものである。
経に云く。
その昔、常不軽という比丘は、会う人誰にも「あなたは必ず佛に成る人」だからと礼拝合掌する。
一方、道往く人々は、何度も敬われるのを忌避するあまりその菩薩を追い払う。
でも追い払われても遥か遠くで「私は決してあなたを軽んじません、いずれは佛に成られる人ゆえ」といってまた合掌する。
この徹底して合掌礼拝する常不軽の菩薩行こそ釈尊の過去世の姿と説く。
信行道場に入っていた時である。
主任先生が道場生の研修のためにこの施設を見舞った。
そこで一度だけ綱脇上人が施設の庭先で患者の方と語り合っているのを見て驚いた。
後向きの患者の片腕しか見えなかったが、綱脇上人はまさにお給仕のお姿なのである。
このような崇高な人間の姿に出会ったのは初めてだった。
そしてこれほどまでに法華経の信仰が昇華されるものかと法友たちと倶に感動したものだった。
その時の熱い感動はどんな立派な説法より心に染みて今でも忘れられない。
一寸した善意でも見返りを求める心(何々をしてやったという傲り)が横行するこの世相。
与え、与え尽くして、何も求めない心(お陰様で何々させて頂いて)が本当の菩薩いや人間の心というもの。
改めて信仰の深さを噛み締めている。