風の色

祈りと信仰(十四)
2023.02.19

祈りと信仰(十四)
最近の朝は気温が下がり肌寒い。
朝勤中、曙光が本堂の入口正面に差し、そのかすかな温かみが、丁度私の背後の障子を通して感じられる此の頃です。
今朝もその障子の外で頻りに刷るような音が読経中の耳に入ってきた。
言うまでもなく、御寶前での勤行は清浄で曇りない心を頂けるから有り難い。
それが済むと境内の墓地や当山守護の諸天善神に法味を言上する慣わしなのでお題目を唱えながらその障子を開けたその瞬間まぶしい陽光に包まれ、眼前には沢山のトンボが障子にはりついたり翔んだりしていた。
もっと驚いたのは、足元の回廊と階段に沢山のトンボが正面を向いて不動の姿で留まっているのです。
このような神秘的な光景は始めて体験することで、まるで無数の佛様と倶に浄土に住まわして頂いているようで何か目頭が熱くなってきた。
形こそ違え生きとし生きる命が法界の中で感応し会う喜びを味わい、同時に、まさに、「お陰様で生かされている」事への感謝と、内なる佛心が自然にはたらきかける信仰の有り難さを感じさせられたのです。
その一方、人間界だけでいくら覚りを開こうと思っていても、また成佛しようと思っても難しいことを知らされた。
法華経の世界観は、この地球どころか宇宙のあらゆるものが根源なる命(ご本佛)から生成して、その分身としてそれぞれの価値をもって存在していると説いている。
従って、トンボに限らず草木やあらゆる命も私たち凡夫と同様に助け合って成佛あらしめるようにこの世に存在していると観なければ浄土も存在しないことになる。
実は、今問題の切実な環境浄化の原点もここにあると思うが、
「心浄ければ土も浄し」とはこの事と思わしめている