風の色

祈りと信仰(十七)
2023.03.12

祈りと信仰(十七)
ここ数年来、いつもお寺での行事や集まりの時に感心させられている事がある。
誰彼ということがなく、早めに来てはその準備のお手伝い、また、終わればその後の跡片付けまでして頂いている。
勿論利害損得無しである。
正に尊い奉仕の浄行と云える。
きっとそこには、それなりに或る方の率先垂範の姿があったからである。
そのような率先垂範の人を地涌の菩薩(本物)という。
その菩薩の姿を見て誰かが真似(伝承)をする。
この真似が本物になっていく。
こうしてだんだんに菩薩集団がこの世の燈火となって濁世を照らすこと(佛国土)になる。
このようなことは、お寺に限らず、家庭や職場どこでも同様である。
さて、古歌に、『我がものと思えば軽ろし傘の雪』というのがある。
本来菩薩には我欲などない。
それも奉仕の浄行は、あらゆる菩薩の意(こころ)に叶っているから自然で自在ある。
だから自己の我欲を捨てている仕事と思えばこれ程の楽しみはないのである。
これが真に仏法(宗教)と生活の一体である。
畢竟、仏法(宗教)は生活の一部でもその手段でもない事をゆめゆめ忘れてならない。
凡夫は、何でも頭から損得を勘定に入れたがる。
だから時と場合によって心が右往左往、文字通りころころ変わる。
日々の生活や言動をどう受け止めていくかによって迷悟の境が分かれる。
現代人はあまりにも先々を読みすぎる嫌いがある。
じっくり自己の過去と現在を見据えて生きたいものである。