風の色

祈りと信仰(二十七)
2023.05.21

祈りと信仰(二十七)
佛門に入った方ならご存じの感応道交という言葉がある。
簡単にいえば、佛天と心が通いあう境地である。心が通うとは私たちの凡心が佛天に摂取され佛天の御心がそのまま凡心に伝わることかも知れない。
佛心に生きるとはこれを抜きにしてはあり得ない。
何もしないでいて感応道交するはずもないが、誰でも大慈悲心をもって生きたいと望んでいる。
所で、佛教のいわゆる四苦八苦の中で怨憎会苦といってこの世では誰しも憎しみ会う人と一緒に生きねばならない苦しみを意味している。
どんなに豊かで便利な世の中になっても人間である限りそこからは逃れられない。
そこからの解脱の扉は、己を変える「鍵」でなければ開いてくれない。
「己を変える」とは、なまやさしいものではない。
しかし、佛天と心が通じることによって可能としたのが佛教である。
具体的には成佛の姿。
だいぶ前からだが、毎朝の勤行が終わり、更衣前にかなり大きな声で「おはようございます」と合掌して挨拶をしている。
人間に限らず私が生かして頂いているあらゆるものを対象に行う感謝の祈りに近いものである。
さて、私の祈りといえば、小さい時から唱えてきた「南無妙法蓮華経」である。
声にだして唱えるのは朝夕の勤行ということになるが、心の中や咽喉のあたりでも唱えているから眠っていない限り四六時中祈っている事になる。
共に凡心を素直に佛天に呼び掛けている所作に過ぎないが、結句、己を変える(己に帰る)よすがと信じてやまない。