風の色

祈りと信仰(二十四)
2023.04.30

祈りと信仰(二十四)
私の人生、目下「二足のわらじ」の行脚中である。
両方ともだいぶ底が擦り切れて、所々穴が空いてきたように思う。
当然ながら、日により時によりその「わらじ」を履き代えなければならない。
しかし、時には、学校の「わらじ」を履いたまま「お寺」のそれを履いたり、逆に「お寺」の「わらじ」のままで教壇に立つ時もある。
二重履きによる葛藤もあるが、それはそれで妙味と思っている。
さて「あなたの人生は何の為にあるのですか」と、天から問われたとしたら、誰もが即座に応えられるであろうか。
私ならずとも『未熟で非才の者ですが、世のため人のために尽力したいと思います』と応えるであろう。
何故なら、この菩薩行しかないからである。
所で、この菩薩行は、誰でも出来そうで意外と難しい。
それは、人間というものは、自分中心主義で自分の行いが一番正しいと思い込んでいる。
為に顧みて他を思いやる心が乏しくなるからである。
菩薩行が菩薩行たらしめる為には、まず、生き方の舵取りである心の向きを正さなければならない。
「心の向き」をかえるとは、自分の我が侭の心を菩薩の心(佛心)に向ける事である。
「二足のわらじ」でも、結句、菩薩が歩く「心のわらじ」一足でしか生きられないことがわかりかけてきた。
長旅も振り返れば昨日の路 色も形もかわらざりき

人生相談 / 家族関係 : 岩手県奥州市
2023.04.27

【過去事例】人生相談依頼
姉の旦那が亡くなり、実家の帰ってきた姉と姉妹3人で暮らすことになりました
10年一緒に暮らしてきて、家族間のストレスが限界に感じていました
仲良く暮らせる方法がないか運命鑑定をしました
70代女性からの依頼でした
人生相談 / 家族関係 : 岩手県奥州市

水子供養 / 堕胎 : 岩手県北上市
2023.04.25

【過去事例】水子供養
色々な事が上手くいかず、某所で人生相談したところ、水子のことを指摘されたそうです
家族にも隠して過去に堕胎した事があり、そのことを後悔し供養に来ました
供養前夜、凄く不思議な夢を見たと話しておりました
30代女性からの依頼でした
水子供養 / 堕胎 : 岩手県北上市

祈りと信仰(二十三)
2023.04.23

祈りと信仰(二十三)
毎朝の勤行はご本佛様や十方の諸菩薩様に対する挨拶と祈りである。
もともと挨拶とは「ここに自分がいます。よろしく」と云うことである。
私事で恐縮だが、今の息子や娘が誕生した時に果たして初対面の挨拶をしたろうかと反省している。
今思えば、心から「ようこそお誕生おめでとう」と云って挨拶したかったが今では遅い。
そのくせ生後ときたら、無礼極まりなく言葉の乱射を浴びせてしまい、言い過ぎた言葉だからといって相手の心に消しゴムを当てれないから悔いを残しつつ諦めている。
また、師父の臨終の時も「お世話になりました。さようなら」の言葉もかけれなかった。
つまりきちんと挨拶ができなかったのだ。
何故だろうかと己の心に問いつつ深く懺悔している。
ちなみに上杉謙信の「遺訓」十六カ条の中から一つを紹介してみる。
『心におごりなき時は人を敬う』
何事も自分だけで生きている時は本当の自己が見えないから、相手を敬う心を失ってしまうもので、古今に通じる道理である。
さすが、上杉謙信、自ら毘沙門天の化身としての祈りであり、かつ挨拶だったに相違ない。
一方、人間の顔は、心のひだの表現である。言葉は次に出てくる。
だから心のこもらない言葉は常に不自然で、顔も心のひだが映るからごまかせない。
神仏を鏡に、己を照らして生きている方々を見れば一目瞭然である

第4回東日本大震災慰霊行脚/宮城県山元町
2023.04.21





第4回東日本大震災慰霊行脚/宮城県山元町
宮城県亘理郡山元町山寺頭無150−7
https://goo.gl/maps/KXHb7TNBdZ8xnwtMA
宮城県亘理郡山元町坂元新代
https://maps.app.goo.gl/ZAYssm9GVX9EtTyx7
宮城県亘理郡山元町坂元久根
https://maps.app.goo.gl/yoPsLzR1xuZCSget8
宮城県亘理郡山元町坂元大作
https://maps.app.goo.gl/aQaHdygGqjkhfWbU6

ペット納骨 / 犬(チワワ) : 山形県山形市
2023.04.18

【過去事例】ペット供養依頼
岩手で子犬を授かり、山形で7年一緒に暮らしました
この子の両親が、当山に永眠っていることを聞き、遠方より納骨においでになりました
人間も動物も家族と共に永眠ることが理想と思いますと花を供えていました
40代女性からの依頼でした
ペット納骨 / 犬(チワワ) : 山形県山形市

祈りと信仰(二十二)
2023.04.16

祈りと信仰(二十二)
以前久慈高校で卒業担任だった頃、二三の生徒にせがまれて色紙攻めにあったことがある。
初め月並な言葉を書こうとしたが、種々考えた末、自分の今の心境を素直に表現することしかないと決め、『何をしたらよいか わからない』と、閑の過ごし方がわからない事を書いたことがある。
十九世紀の中頃、中国清王朝の曾国藩という人物は、常日頃から座右の銘として「四耐」を心がけていたという。
一つは、「耐冷」といって世間からの冷たい目で見られることに耐え、
二には、「耐苦」といってどのような苦しみにも耐え、
三には、「耐煩」といって煩わしさに耐え、
四には、「耐閑」といって閑に耐えることが大切であると云っている。
どれも実践出来にくい事ばかりであるが、特に最後の閑に耐える事が一番至難のようである。
何故かというと、閑になると欲に任せて、つい我が侭になって自分を弄び、空しい時を過ごしてしまうからである。
確かに若者にとって、閑は毒にこそなれ益にはならないが、人生の大半を仕事に費やした人にとっては、神仏が与えた閑と向かい合うことで人生の総仕上げともいうべき「自己と出会う」チャンスではないかと思う。
よく、京の染職人が、生地の発色を出すために、寒風の中、京の桂川で長時間水に晒す夕禅流しをするのも染色の総仕上げにかかせない工程である事を聞いたことがあるが、耐閑の意味は甚だ深い。

珍しい花
2023.04.13


日蓮宗公式LINE3分法話

■珍しい花

祈祷 / ぬいぐるみ供養 : 岩手県奥州市
2023.04.11

【過去事例】祈祷依頼
沢山のぬいぐるみを孫の結婚を機に処分するため来寺されました
祖母と孫さんと共に、ぬいぐるみに感謝のお経を上げ、魂抜きをしました
80代女性からの依頼でした
祈祷 / ぬいぐるみ供養 : 岩手県奥州市

祈りと信仰(二十一)
2023.04.09

祈りと信仰(二十一)
先日、ある大手の会社に勤める部長の娘さんから、ふとした事で父親の思いもかけぬ姿に出会い、普段の家庭での姿とあまりの違い差に衝撃を受けたことを聞いた。
たまたま父のもとへ届ける用事があって、その朝父の会社に寄った時の事だそうである。
急ぎ足で玄関先に現れたのが父だった。
何やら車から降りた社長のような人に近づいて丁重に頭を下げて挨拶をし、すぐその方の持ち物をすぐ小脇に抱えてかなり緊張した顔で先を歩く姿を垣間見て、家庭ではこせこせしない大らかさをもつ泰然自若たる父親を誇りにさえ感じていたが、あの日の父は別人でないかと目を疑ったというのである。
宮仕え故の男の苦労は家族の目には毒である。
所で、男だけの苦労かと云えばさにあらず、滅多に夫にお茶をだしたことのない会社勤めの婦人が、毎朝社員にお茶をサービスするという話も聞いたことがあるが、職業柄とはいえ、共に虚像でありたいものである。
では、何処にいる時が、本当の姿なのかと考えるが、意外と嘘の自分なんか何処にもなくすべてが本当の姿なのかも知れない。
つまるところ、虚実が表になり裏になったりするのが人間の偽らざる姿と云うべきだろう。
実に、心の舵取り一つでどんな役柄をも演じる人間は不思議な存在である。
しかし、果たして誰もがその不思議な存在と気がついて生きているだろうか。
法華経は、それに気がついてはじめて真の自己に出会うと説いている