風の色

水子供養 / 流産 : 岩手県花巻市
2023.03.31

【過去事例】水子供養
定年退職後、岩手に移住されたご夫婦でした
定年前は、都内で年に一度水子供養をしていたそうです
近くのお寺で供養を行いたとい思い、インターネット検索で当寺院を見つけたとのことでした
手厚い焼香をされておりました
70代男性からの依頼でした
水子供養 / 流産 : 岩手県花巻市

ペット納骨 / 犬(雑種) : 岩手県宮古市
2023.03.28

【過去事例】ペット供養依頼
地元でのペット火葬環境に抵抗があり、実家近くで火葬しました
火葬後、当寺へ納骨されました
地方では、ペットの火葬の環境が整っていない地域が多く、この様なケースでの納骨が増えております
50代女性からの依頼でした
ペット納骨 / 犬(雑種) : 岩手県宮古市

祈りと信仰(十九)
2023.03.26

祈りと信仰(十九)
今春定年退職されるN氏とほんの一時お話をした折のことである。
私は、今迄お世話になったことに感謝申し上げた後、今後の事についてお尋ねした。
「どちらにお住まいになられますか。」
「K市になると思います。」
「ご自宅にお戻りですね。」
「いや、僕は生まれた時から貸家住まいでしたのでこれからも狭いアパートで暮らすつもりです。それに子供たちも独立していますので気楽です。」
「…………。」
この方は、昔から熱心な法華経の愛読者であって、信仰の信の字も言葉に出した事の無いのだが、風格はゆったりしていてどこからでも包んでくれそうな親しみと優しさが溢れておられる。
所で、先刻ラジオから耳に飛び込んできた言葉が妙に忘れられない。
確か「私たちの取り巻く環境は地球からの借り物」というものだった。
もともと自分の財産などにこだわらないN氏のような方は、すべて生かされてと大悟しているから「菩薩界」の人である。
悲しいことだが、何時も自分のものという欲に駆られて過ごしている凡夫は、ものを失う事を通じて心が晴れずいよいよ苦を重ねる。
しかし、菩薩にも人間にも佛界ありとする態度が法華経である。
幸いなことに、心の持ち方一つで「人間界」から「菩薩界」に住むことが出来ることをN氏から教えて頂いた。

祈祷 / 不登校 : 宮城県仙台市
2023.03.23

【過去事例】祈祷依頼
不登校の長男を祈祷して欲しいと依頼がありました
尊い命への祈祷を行いました
不登校の子は「結論」を急がせません
「良い人生」も「悪い人生」と決めるのは我々なのです
家族と長男の尊い命、そしてその歩みを見つめるよう家族の祈りの大切さを話しました
「生きてるだけで丸儲け」その様な言葉を耳にしたことがあるように
40代女性からの依頼でした
祈祷 / 不登校 : 宮城県仙台市

令和五年春彼岸法要
2023.03.21


本日13時より、春彼岸法要です
ご家族皆様でお参り下さい

祈りと信仰(十八)
2023.03.19

祈りと信仰(十八)
先頃、久しぶりに隣町にきた寄席を楽しんだ。
それもお馴染の三遊亭円楽師匠の口演となるとやはりどこか一味もふた味も違う。
その聴衆を魅了して離さない粋な話芸の陰には、きっと私どもには知ることの出来ない相当な努力と精進があったものと思う。
当夜の噺題も「芝浜」と古典落語の代表的なもの、その人情味溢れる名演技に心は踊った。
所で、今は亡き古今亭志ん生は、此の作品の名場面(薄らと明け白む海辺で大海を眺める感動のシーン)を演ずるために、何日も通って実際に冷たい潮風を吸いながら明け方の海辺に佇んで稽古したという。
ましてそれ以外の場面においておやである。
だから当然、聴く方にもその人情の機微が如実に伝わってくる。
佛教でいう感応である。謂うならば、この噺が心底から人の心を打つのは、噺家の普段から鍛え抜いて表れたその姿に共鳴しているからといえる。
近所に住むXさんは、老骨に鞭を打っては、毎朝登校する児童生徒の交通安全の為、風雪もろともせず口に笛をくわえ片手に旗をかざして道路を無事横断させて送り出している。
その姿も等しく心根錬磨の結実でないものはない。
芸に限らず日常生活何処においても、深く自己の内面を見つめ、心根を磨けば自然に行為動作となって表れるものである。
翻って、表だけで精一杯生きている己の姿如何にと問うこの頃である。
「おのれ磨かざれば、道見えず」を座右の銘にしたいものである

人生相談 / 病気 : 岩手県奥州市
2023.03.16

【過去事例】人生相談依頼
かかりつけ医から紹介状を貰い、大きな病院へ通院することとなりました
大きな病院から処方される薬を飲むと具合が悪くなるとのことでした
運命鑑定をして、今後の病院との付き合い方を話しました
人生相談 / 病気 : 岩手県奥州市

人の繋がり
2023.03.14


日蓮宗公式LINE3分法話

■人の繋がり

祈りと信仰(十七)
2023.03.12

祈りと信仰(十七)
ここ数年来、いつもお寺での行事や集まりの時に感心させられている事がある。
誰彼ということがなく、早めに来てはその準備のお手伝い、また、終わればその後の跡片付けまでして頂いている。
勿論利害損得無しである。
正に尊い奉仕の浄行と云える。
きっとそこには、それなりに或る方の率先垂範の姿があったからである。
そのような率先垂範の人を地涌の菩薩(本物)という。
その菩薩の姿を見て誰かが真似(伝承)をする。
この真似が本物になっていく。
こうしてだんだんに菩薩集団がこの世の燈火となって濁世を照らすこと(佛国土)になる。
このようなことは、お寺に限らず、家庭や職場どこでも同様である。
さて、古歌に、『我がものと思えば軽ろし傘の雪』というのがある。
本来菩薩には我欲などない。
それも奉仕の浄行は、あらゆる菩薩の意(こころ)に叶っているから自然で自在ある。
だから自己の我欲を捨てている仕事と思えばこれ程の楽しみはないのである。
これが真に仏法(宗教)と生活の一体である。
畢竟、仏法(宗教)は生活の一部でもその手段でもない事をゆめゆめ忘れてならない。
凡夫は、何でも頭から損得を勘定に入れたがる。
だから時と場合によって心が右往左往、文字通りころころ変わる。
日々の生活や言動をどう受け止めていくかによって迷悟の境が分かれる。
現代人はあまりにも先々を読みすぎる嫌いがある。
じっくり自己の過去と現在を見据えて生きたいものである。

東日本大震災第13回忌
2023.03.11


追憶と鎮魂
御霊に祈りを。