風の色

ペット納骨 / 犬(ウエストハイランドホワイトテリア) : 岩手県奥州市
2022.05.31

【過去事例】ペット供養依頼
心臓肥大の病気で15才でこの世を去りました
テリア独特の愛らしさに、日々癒やされていたそうです
これからはこの子への恩返しの時間として祈りを重ねていきたいと話しておりました
50代男性からの依頼でした
ペット納骨 / 犬(ウエストハイランドホワイトテリア) : 岩手県奥州市

七七〇年慶賛・立教開宗会法要
2022.05.26


鎌倉・京都をはじめ各地の遊学を終えた日蓮聖人は、建長5年(1253年)、生まれ故郷である千葉県小湊の清澄寺に戻られました
そして4月28日の早朝、日蓮聖人は清澄山の頂より昇る太陽に向かって「南無妙法蓮華経」のお題目を声高らかに唱えられました
初めてお題目を唱えられた日を「立教開宗」として聖日としました
当山では、5月29日(日)13時より、開宗より770年を迎えた立教開宗会を厳修します

水子供養 / 死産 : 岩手県奥州市
2022.05.24

【過去事例】水子供養
水子のお骨を埋葬できず悩んでいた方から相談でした
離婚歴があり、埋葬できるお墓もなく悩み続け30年経過しておりました
当山の供養墓を紹介し、水子供養法要を行いました
60代女性からの依頼でした
水子供養 / 死産 : 岩手県奥州市

風の色(三十八)
2022.05.22

風の色(三十八)
今頃の朝の四時半といえばまだ真暗闇、ただ晨星だけがくっきり輝いている。
空気も清冽に満ちて格別に美味しい。
足許を見れば、街灯が濡れた路を仄かに照らしてくれるだけである。
こうした早朝の散歩がまるで別世界に感じるのは何故だろうか、かつて学生時代に経験した信行道場の頃が思い浮かんだ。
身延山の麓で三十五日間、毎朝四時半起床、西谷の急な坂を唱題撃鼓しながら久遠寺の朝勤に出仕した時だった。
私にとっては不思議なほど心の緊張感と爽快な気持ちに満ちていたことを鮮明に覚えている。
今思えば、こうした日の出前の静かな時というのは、きっと森羅万象にわたって根源なる魂が触れ合う時ではないかという気がする。
だから、ぬかるみの路も街灯も暗闇に光る晨星も悉く私の心中に投影かつ共鳴してくれているようでならない。
己の心が佛の心を宿してものを観るといったらよいと思う。
日中ではなかなかこのような経験はできないだろうと思う。
手持ちのラジオからは深夜便が流れている。
アナウンサーの声が目の前で語りかけているように聞こえてならない。
一見、日常の世界を離れているようであるが、決してそうでない。
御本佛の慈悲に導かれて浄土の世界を体験させていただいているものと感じている。
存在するあらゆるものとの一如とまでは(凡佛一如)いかないが、心の修養のためには貴重な体験であると確信している。
法華経の世界は、この無限なる人間の心の本質を伝えようとしているものである。
悩み、迷いだらけの私にこのひとときがどれ程救いになっているか知れない。

祈祷 / 還暦厄除け祈祷 : 岩手県奥州市
2022.05.19

【過去事例】祈祷依頼
還暦を祝う誕生日前に、厄払いをお願いされました
60歳は厄年です
「長寿の節目に災難に遭わないための厄除け」となります
60歳男性からの依頼でした
祈祷 / 還暦厄除け祈祷 : 岩手県奥州市
■還暦の豆知識
還暦は「暦が還る(生まれたときに戻る)」干支が一周することから名付けられました
この際に、魔除けの意味合いから、赤子に着せていた「赤い産着」を着る習慣が生まれました
赤色は日本では古くから魔除けの効能があると言われています
悪霊を追い出す強い色だと信じられていました
新生児を「赤ちゃん」と呼びます
「赤ちゃん」と呼ぶことで病魔から守ろうとしたと言われています
無病息災を祈り時節的に「小豆」を食べる習慣もこの「赤色」からきております

石楠花
2022.05.17


先日、山歩きが好きだったご先祖様に石楠花(しゃくなげ)の供養がありました
「荘厳」という花言葉を意味するよう位牌壇にお供えさせていただきました

風の色(三十七)
2022.05.15

風の色(三十七)
つい先日まで、何故か心境の変化であろう。
朝の勤行前に、足の向くまま散歩していた。
五時半~六時に始める朝勤に間に合うためには四時半には起きなければならない。
夜明け前の冷気に身がしまるのを感じながら駅前にさしかかった時、数人のご婦人がビニール袋と小さな箒を持ち無言で清掃されている。
別な方は、路上に投げ出されている自転車を駐輪場に運んで整頓されている。
また、別な日には、お一人のご婦人が、公園に通じる大通りの歩道を清掃されていた。
薄暗い中で見たこのような光景に自然に掌を合わせずにおれなかった。
駅前が普段からきれいになっていることを改めて深く心に刻むと同時に気が付かなかった自分を恥じもした。
このような夜も明けない暗い中で黙々と清行に励んでいることなど殆どの方々が知らないでいると思う。
そこには単なろボランティア活動を越えた布施行の一分である身施(しんせ)を実践されているのである。
身施とは、身をもって仕事をさせて頂き、それを心から喜んで行うことである。
勿論その報いなどを求めない清い心を指していろものである。
ご本佛様のはからいか、この早朝の散歩からこうした尊いお姿を拝すろことができたことで、この娑婆国土も浄土の中に包まれていることを体験させて頂いた。
日蓮聖人は「佛道とは人の振る舞いにて候」と示されている。
身施も大切な振る舞いである。
短い間ではあったが、爽やかな早朝の日々を頂いたことをご本佛様に感謝している。
そして改めて、心向き一つで人の振る舞いが決まることを学ばせて頂いた。

人生相談 / 病気 : 岩手県奥州市
2022.05.12

【過去事例】人生相談依頼
急なめまいと嘔吐で数日仕事を休んでいる娘が心配とのことでした
病院は内科から耳鼻科と2ヶ所診察を受けましたが、原因不明とのことでした
運命鑑定にて病気の経過を診断しました
40代女性からの依頼でした
人生相談 / 病気 : 岩手県奥州市

ペット納骨 / 猫(雑種) : 岩手県奥州市
2022.05.10

【過去事例】ペット供養依頼
飼い猫の異変に気付いたのは歩き方だったそうです
糖尿病にかかり10年の早すぎる死でした
早く病気に気付いてあげられれば・・・と泣きながら話しておりました
家族みんなで沢山の花を用意して納骨法要をしました
50代女性からの依頼でした
ペット納骨 / 猫(雑種) : 岩手県奥州市

風の色(三十六)
2022.05.08

風の色(三十六) 
最近、何時とはなしに心の中でこんなことを呟いている。
『今、おまえは、人生の中で何か心の中に大切な忘れ物をしていないか』と。
いつものように朝勤を終えて部屋に戻り、着替えをしていろ時に、何故か懐かしい師父の姿が思い浮かんだ。
私が幼い頃のことであろ。
今は亡き師父が、山菜採りのためによく営林署のトロッコで出かけていた。
帰ってくると必ず山菜以外のものを手にしていた。
それは道すがら周辺に捨てられた金具のようなもので、ネジとかボルトといった機械類の部品のようなものが多かったが、その中で特に珍しい大きな健があった。
まるでこれを宝物のように大切に磨いてしまっていた。
今も物置の奥の引き出しに格納されていると思うが、当時は、高邁で厳格な師父の姿からは想像もできず、何となく私の童心に繁がっているようで妙な気持ちだったことを覚えている。
何も役立たないものなのにどうして集めていたのか未だもってわからない。
しかし、いつかきっと役に立つ大切なものと信じていたのかも知れない。
ところで、私に『何か忘れ物をしていないか』と、問うその心の主は果たして誰か、その心の主に出会えばきっと忘れ物の箱の中にある見事な宝物を見せて呉れるに違いないと思った。
そして、その箱を開ける鍵こそ私の生き方の中で見つけなければならないことを。
法華経には、存在する総てのものは、一つとして役立たないものは無いと説いている。
今、日頃から心の主を訪ねていない自分を見つめている。