風の色
- 風の色(十七)
- 2021.12.12
風の色(十七)
私は、しばしば旧い友から「あの人は変わった」と聞かされる。
自分では何も気がついていない筈なのだが、他人から見ればやはり変わったと映るらしい。
たまに幼い頃の夢を見る。
現に目を醒ましてみると、それは何時も決まって自分の姿がみすぼらしく、とても哀しく感じられるのである。
目醒めの暗さは今に始まったことではない。
それはそれで一生涯の付き合いと心得ている。
その要因を突き詰めたことはないが、思えば幼児期なのかも知れない。
余程得体のしれないものから抑圧されていたに違いない。
その得体の知れないものとは必ずしも厳格な師父とは限らない。
厳格な師父に似た家と言えば、当時ならザラにあったことで、むしろ、お寺という宿命的な環境の総てなのかも。
兎に角そこを離れては自己の存在がないという抑圧だろうと思う。
早朝、未だ暗い本堂へ向かう。
未明の夢が胸元から離れず一緒に歩いている。
勤行が終わるころには東の窓格子から無量の日の光りが差しかける。
たなびく香の紫雲に別れを告げて本堂を去る頃には、未明の夢は伴うこともなく居間に戻る。
どちらが本当の自己なのかと問うている。
例えば、私の変わったと見える姿は、後の部分だろう。
しかし、前の部分はなかなか見えないし見せない部分である。
所が、正直に言えば、青年期のころから見せない部分で素直に生きてみたいと必至だった。
しかし、所詮、中途半端でしかなかった。
また、これが私の宿命(定め)と言い聞かせて今日まできたのも事実である。
これを素直に受けて、この両面を行ったり来たりするのが人生であると最近思うようになった。
- 令和3年度歳末行脚
- 2021.12.09
本年は遠野市で歳末助け合いの行脚でした
小雨の降る中、また残雪の中、太鼓とお題目の祈りを込めました
浄財は遠野市へ寄付致しました
- 風の色(十六)
- 2021.12.05
風の色(十六)
かつて、私が尊敬する故松生先生は「もし人類のヘソの緒を引いたとしたら、そこから総てのものが出てくる」と、言われた。
その至言の指すところ、そのヘソの緒に連なる糸こそ尊い“いのち”に他ならないことが漸く氷解できた。
人類総てが、過去から現在そして未来に至るまでこの不易な糸の道を歩んできた点、まさに“一筋の道”に連なっていると言える。
それは、自ら求めて得られるという道ではなく、すでに久遠に頂いている有り難い道なのである。
その意味でもともと浄土の世界と言ってよい。
ところが、我々はその道を忍難の娑婆としか見ない。でも、“いのち”そのものから観ればはやはり浄土なのである。
法華経は、娑婆世界をもともと常寂光土という理想社会と説いている。
当然そこに住む凡夫である我々は、浄土に包まれ、一人も例外なく本佛〈大慈悲心〉の意(こころ)を内包していることになる。
よく、自暴自棄になった若者が「頼みもしないのに親が勝手に生んで」と、言って、まるで自分が虫ケラ同然の不幸者と見做して、親を憎み哀れな人生を呪う姿に出会う時がある。
もとより人間の存在は、この世にとって尊く必要な存在として前述の“いのち”に連なっているものである。
我々は、この大前提を忘れずに伝えていかなければ前の不幸を繰り返すことになる。
例えば、母親が言葉も知らない緑児に向かっていとおしく語りかける姿は、まさに本佛の意を内包していなくては出来ない行為であり、向い合う緑児は、その行為によってはじめて尊く必要な存在になる。
母子に限らず相互に尊く必要な存在が真の浄土ではあるまいか
- ペット納骨 / 兎 : 岩手県奥州市
- 2021.12.03
【過去事例】ペット供養依頼
高校時代に一緒に暮らした思い出を話してくれました
家族でお別れをしました
10代女性からの依頼でした
ペット納骨 / 猫(雑種) : 岩手県奥州市
- 水子供養 / 死産 : 岩手県奥州市
- 2021.12.02
【過去事例】水子供養
第3子目を死産で無くしました
辛くて言葉になりません
その様に話された家族は皆でお参りに来ました
家族全員で焼香しました
30代女性からの依頼でした
水子供養 / 死産 : 岩手県奥州市