風の色

祈りと信仰(二十六)
2023.05.14

祈りと信仰(二十六)
「父帰る喜ぶ顔は犬ばかり」
「お疲れさま給料ほどの妻の声」
二句とも最近の月刊雑誌『川柳に見る“疲労大国”日本のオトーサンたち』の一部転載であるが、他人ごとではない。
普段から身につまされているオトーサン(?)に限らず日本人の大半が疲労している様子を改めて考えさせられた。
世の中、忙しさのあまり自分を見失いかけ、加えてその悲哀の渦の中でもがいている様な気がしてならない。
仕事一途に生きてきたサラリーマンK氏の場合である。
彼が定年後に、狭い会社付き合いとは趣の異なったいわゆる近隣の世間的な対人関係に入っていけず、急にフケ込んでしまい、内心行く末、孤独で寂しい人生に不安を感じてきたという。
そのK氏いわく「不安になって初めて自分と向き合っている人間の姿が見えた」と。
今時、静かに自分を見つめる時と場所があるだろうか。さしずめ家庭のトイレがロイヤルボックスと真面目にいう人がいる。
さて、千葉刑務所に教誨師(刑務所で囚人に説教する方)として勤めている井上日宏師(東京都江東区玉泉寺住職)の体験談に耳を傾けよう。
死刑囚と決まった人からの一通の手紙に「悪いことをして入獄して死刑囚に決まってから自分を内面的に見て・・・はじめて人間というものを自覚した時、いつでも死ねるようになった云々」
所詮、はじめから人間なのに、何故かそれと気がつくのに遅すぎる。

祈りと信仰(二十五)
2023.05.07

祈りと信仰(二十五)
私の小さい頃と今とでは、お盆も種々様変わりしている。
前は、日が暮れる頃からぽつぽつ来られ、夜の八時ごろになると暗い墓地のあちこちに迎え火が灯り、辺りが賑わいでくる。
その明かりに照らされた合掌の姿が幼な心にも清楚で美しかったという印象である。
今は、早朝からの墓参である。
夜になると人もまばらで八時にはほとんど影もない。
しかも、迎え火を灯す方も希である。
服装も、その多くは、よそ行きから普段着へと変わった。
ある人いわく「早めに済ませたい、しかも涼しいうちにお参りしたい」と。
お盆に限らず今の時代は、自分の楽を優先し、更に略せるものなら手短に主義になってしまった。
ある葬儀に出座した時である。
驚くほど短いものであった。
葬儀が終わって退場する廊下でその導師である住職に囁いた人がいた。
「今日のはスマートで大変よかったですよ」である。
昔の方々は時を大事に考えた。
だからその場なりの時を心得ていたから手抜きなど互いに出来なかった。
また、特に神仏に対する畏敬の念が深く、それがため神社仏閣に詣でる姿は正装に近い所以である。
時と云い姿と云い今昔はあるが、人の心には今昔はないはず。
「掌を合わせ昨日今日明日のこと、墓石に映つる吾が心」

祈りと信仰(二十四)
2023.04.30

祈りと信仰(二十四)
私の人生、目下「二足のわらじ」の行脚中である。
両方ともだいぶ底が擦り切れて、所々穴が空いてきたように思う。
当然ながら、日により時によりその「わらじ」を履き代えなければならない。
しかし、時には、学校の「わらじ」を履いたまま「お寺」のそれを履いたり、逆に「お寺」の「わらじ」のままで教壇に立つ時もある。
二重履きによる葛藤もあるが、それはそれで妙味と思っている。
さて「あなたの人生は何の為にあるのですか」と、天から問われたとしたら、誰もが即座に応えられるであろうか。
私ならずとも『未熟で非才の者ですが、世のため人のために尽力したいと思います』と応えるであろう。
何故なら、この菩薩行しかないからである。
所で、この菩薩行は、誰でも出来そうで意外と難しい。
それは、人間というものは、自分中心主義で自分の行いが一番正しいと思い込んでいる。
為に顧みて他を思いやる心が乏しくなるからである。
菩薩行が菩薩行たらしめる為には、まず、生き方の舵取りである心の向きを正さなければならない。
「心の向き」をかえるとは、自分の我が侭の心を菩薩の心(佛心)に向ける事である。
「二足のわらじ」でも、結句、菩薩が歩く「心のわらじ」一足でしか生きられないことがわかりかけてきた。
長旅も振り返れば昨日の路 色も形もかわらざりき

祈りと信仰(二十三)
2023.04.23

祈りと信仰(二十三)
毎朝の勤行はご本佛様や十方の諸菩薩様に対する挨拶と祈りである。
もともと挨拶とは「ここに自分がいます。よろしく」と云うことである。
私事で恐縮だが、今の息子や娘が誕生した時に果たして初対面の挨拶をしたろうかと反省している。
今思えば、心から「ようこそお誕生おめでとう」と云って挨拶したかったが今では遅い。
そのくせ生後ときたら、無礼極まりなく言葉の乱射を浴びせてしまい、言い過ぎた言葉だからといって相手の心に消しゴムを当てれないから悔いを残しつつ諦めている。
また、師父の臨終の時も「お世話になりました。さようなら」の言葉もかけれなかった。
つまりきちんと挨拶ができなかったのだ。
何故だろうかと己の心に問いつつ深く懺悔している。
ちなみに上杉謙信の「遺訓」十六カ条の中から一つを紹介してみる。
『心におごりなき時は人を敬う』
何事も自分だけで生きている時は本当の自己が見えないから、相手を敬う心を失ってしまうもので、古今に通じる道理である。
さすが、上杉謙信、自ら毘沙門天の化身としての祈りであり、かつ挨拶だったに相違ない。
一方、人間の顔は、心のひだの表現である。言葉は次に出てくる。
だから心のこもらない言葉は常に不自然で、顔も心のひだが映るからごまかせない。
神仏を鏡に、己を照らして生きている方々を見れば一目瞭然である

祈りと信仰(二十二)
2023.04.16

祈りと信仰(二十二)
以前久慈高校で卒業担任だった頃、二三の生徒にせがまれて色紙攻めにあったことがある。
初め月並な言葉を書こうとしたが、種々考えた末、自分の今の心境を素直に表現することしかないと決め、『何をしたらよいか わからない』と、閑の過ごし方がわからない事を書いたことがある。
十九世紀の中頃、中国清王朝の曾国藩という人物は、常日頃から座右の銘として「四耐」を心がけていたという。
一つは、「耐冷」といって世間からの冷たい目で見られることに耐え、
二には、「耐苦」といってどのような苦しみにも耐え、
三には、「耐煩」といって煩わしさに耐え、
四には、「耐閑」といって閑に耐えることが大切であると云っている。
どれも実践出来にくい事ばかりであるが、特に最後の閑に耐える事が一番至難のようである。
何故かというと、閑になると欲に任せて、つい我が侭になって自分を弄び、空しい時を過ごしてしまうからである。
確かに若者にとって、閑は毒にこそなれ益にはならないが、人生の大半を仕事に費やした人にとっては、神仏が与えた閑と向かい合うことで人生の総仕上げともいうべき「自己と出会う」チャンスではないかと思う。
よく、京の染職人が、生地の発色を出すために、寒風の中、京の桂川で長時間水に晒す夕禅流しをするのも染色の総仕上げにかかせない工程である事を聞いたことがあるが、耐閑の意味は甚だ深い。

祈りと信仰(二十一)
2023.04.09

祈りと信仰(二十一)
先日、ある大手の会社に勤める部長の娘さんから、ふとした事で父親の思いもかけぬ姿に出会い、普段の家庭での姿とあまりの違い差に衝撃を受けたことを聞いた。
たまたま父のもとへ届ける用事があって、その朝父の会社に寄った時の事だそうである。
急ぎ足で玄関先に現れたのが父だった。
何やら車から降りた社長のような人に近づいて丁重に頭を下げて挨拶をし、すぐその方の持ち物をすぐ小脇に抱えてかなり緊張した顔で先を歩く姿を垣間見て、家庭ではこせこせしない大らかさをもつ泰然自若たる父親を誇りにさえ感じていたが、あの日の父は別人でないかと目を疑ったというのである。
宮仕え故の男の苦労は家族の目には毒である。
所で、男だけの苦労かと云えばさにあらず、滅多に夫にお茶をだしたことのない会社勤めの婦人が、毎朝社員にお茶をサービスするという話も聞いたことがあるが、職業柄とはいえ、共に虚像でありたいものである。
では、何処にいる時が、本当の姿なのかと考えるが、意外と嘘の自分なんか何処にもなくすべてが本当の姿なのかも知れない。
つまるところ、虚実が表になり裏になったりするのが人間の偽らざる姿と云うべきだろう。
実に、心の舵取り一つでどんな役柄をも演じる人間は不思議な存在である。
しかし、果たして誰もがその不思議な存在と気がついて生きているだろうか。
法華経は、それに気がついてはじめて真の自己に出会うと説いている

祈りと信仰(二十)
2023.04.02

祈りと信仰(二十)
資を求めて師を求めざるを嘆く。
「易」の蒙卦に、『道というものは先生(我)が自分から出かけていって生徒(童蒙)に教えるものではなく、生徒(童蒙)のほうから出向いて先生(我)に聞くのが至当である。』との内容が記されている。
今の世の中、溢れる情報社会に毒されて道がかすみかけて、転倒の末、せっかくの法灯の叡智もユータンしそうである。
幕末の私塾の盛んな頃は、師を求めて遊学する志士がいた。そこには、正しい道を求める姿があった。
尊の弟子の一人にマハー・カッサパ(摩訶迦葉)という人物がいた。
「ある日、師(釈尊)と一緒に歩いていた時、師が、ふと道のかたわらにある一樹で休息をとろうとされたのを見て、急いで樹下にいたり、わが僧衣を四つにたたんで座を設け、師に何卒これに坐して頂きたいと申し上げた。そして、快く腰をおろされている師に向かい、どうか私を憐れみ下されまして私の僧衣を納受して頂きたいと丁重に申し上げた。そこで、師は、カッサパよ、わたしの粗末な布の*糞掃衣を受けると申すかというと、カッサパは師の身につけたもうた粗衣の糞掃衣を是非頂戴させて頂きたいと深々と敬礼した。云々」とある。
*「ふんぞうえ」と読み、塵芥の中に捨てられていたぼろきれをつづり合わせてつくった衣。
彼にとってこれほどの喜びはなかったし、さぞ師の心と永遠につながっていることのあかしに感無量だったに違い無い。
まさに、求道の極意である。

祈りと信仰(十九)
2023.03.26

祈りと信仰(十九)
今春定年退職されるN氏とほんの一時お話をした折のことである。
私は、今迄お世話になったことに感謝申し上げた後、今後の事についてお尋ねした。
「どちらにお住まいになられますか。」
「K市になると思います。」
「ご自宅にお戻りですね。」
「いや、僕は生まれた時から貸家住まいでしたのでこれからも狭いアパートで暮らすつもりです。それに子供たちも独立していますので気楽です。」
「…………。」
この方は、昔から熱心な法華経の愛読者であって、信仰の信の字も言葉に出した事の無いのだが、風格はゆったりしていてどこからでも包んでくれそうな親しみと優しさが溢れておられる。
所で、先刻ラジオから耳に飛び込んできた言葉が妙に忘れられない。
確か「私たちの取り巻く環境は地球からの借り物」というものだった。
もともと自分の財産などにこだわらないN氏のような方は、すべて生かされてと大悟しているから「菩薩界」の人である。
悲しいことだが、何時も自分のものという欲に駆られて過ごしている凡夫は、ものを失う事を通じて心が晴れずいよいよ苦を重ねる。
しかし、菩薩にも人間にも佛界ありとする態度が法華経である。
幸いなことに、心の持ち方一つで「人間界」から「菩薩界」に住むことが出来ることをN氏から教えて頂いた。

祈りと信仰(十八)
2023.03.19

祈りと信仰(十八)
先頃、久しぶりに隣町にきた寄席を楽しんだ。
それもお馴染の三遊亭円楽師匠の口演となるとやはりどこか一味もふた味も違う。
その聴衆を魅了して離さない粋な話芸の陰には、きっと私どもには知ることの出来ない相当な努力と精進があったものと思う。
当夜の噺題も「芝浜」と古典落語の代表的なもの、その人情味溢れる名演技に心は踊った。
所で、今は亡き古今亭志ん生は、此の作品の名場面(薄らと明け白む海辺で大海を眺める感動のシーン)を演ずるために、何日も通って実際に冷たい潮風を吸いながら明け方の海辺に佇んで稽古したという。
ましてそれ以外の場面においておやである。
だから当然、聴く方にもその人情の機微が如実に伝わってくる。
佛教でいう感応である。謂うならば、この噺が心底から人の心を打つのは、噺家の普段から鍛え抜いて表れたその姿に共鳴しているからといえる。
近所に住むXさんは、老骨に鞭を打っては、毎朝登校する児童生徒の交通安全の為、風雪もろともせず口に笛をくわえ片手に旗をかざして道路を無事横断させて送り出している。
その姿も等しく心根錬磨の結実でないものはない。
芸に限らず日常生活何処においても、深く自己の内面を見つめ、心根を磨けば自然に行為動作となって表れるものである。
翻って、表だけで精一杯生きている己の姿如何にと問うこの頃である。
「おのれ磨かざれば、道見えず」を座右の銘にしたいものである

祈りと信仰(十七)
2023.03.12

祈りと信仰(十七)
ここ数年来、いつもお寺での行事や集まりの時に感心させられている事がある。
誰彼ということがなく、早めに来てはその準備のお手伝い、また、終わればその後の跡片付けまでして頂いている。
勿論利害損得無しである。
正に尊い奉仕の浄行と云える。
きっとそこには、それなりに或る方の率先垂範の姿があったからである。
そのような率先垂範の人を地涌の菩薩(本物)という。
その菩薩の姿を見て誰かが真似(伝承)をする。
この真似が本物になっていく。
こうしてだんだんに菩薩集団がこの世の燈火となって濁世を照らすこと(佛国土)になる。
このようなことは、お寺に限らず、家庭や職場どこでも同様である。
さて、古歌に、『我がものと思えば軽ろし傘の雪』というのがある。
本来菩薩には我欲などない。
それも奉仕の浄行は、あらゆる菩薩の意(こころ)に叶っているから自然で自在ある。
だから自己の我欲を捨てている仕事と思えばこれ程の楽しみはないのである。
これが真に仏法(宗教)と生活の一体である。
畢竟、仏法(宗教)は生活の一部でもその手段でもない事をゆめゆめ忘れてならない。
凡夫は、何でも頭から損得を勘定に入れたがる。
だから時と場合によって心が右往左往、文字通りころころ変わる。
日々の生活や言動をどう受け止めていくかによって迷悟の境が分かれる。
現代人はあまりにも先々を読みすぎる嫌いがある。
じっくり自己の過去と現在を見据えて生きたいものである。