風の色

人生相談 / 大学入試: 岩手県奥州市
2022.02.17

【過去事例】人生相談依頼
音大の狭き門にチャレンジしたいと生徒からの相談でした
ピアノ講師先生と二人で運命鑑定を行いました
60代女性からの依頼でした
人生相談 / 大学入試: 岩手県奥州市

ペット納骨 / 猫(雑種) : 岩手県奥州市
2022.02.15

【過去事例】ペット供養依頼
ウイルス感染で旅立ちました
闘病中の思いを話してくれました
50代女性からの依頼でした
ペット納骨 / 猫(雑種) : 岩手県奥州市

風の色(二十五)
2022.02.13

風の色(二十五)
先日のこと、茜色に染まった夕映えにしばし見惚れながら、心の中では、『つまるところ、人生何ぞや』と、問い続けていたが、よくよく考えてみると、青年期のあのもの憂い頃と体験が重なっていることに気がついた。
何時も決まって夕方になると、誰もいない薄暗い本堂の階段に腰掛ながら考えていた。
将来に対する不安、厚い壁のような師父の存在、沙弥(得度出家したばかりの小僧)でありながら、いずれ佛法に仕えて衆生済度の導師として振る舞わなければならないというとてつもない大きな存在に、逃れられない自分の定めを知りすぎたように思っている。
何も出来ない自分が「成るようにしか成らない世の定め」に身をさらし、また何時までも超えることが出来ない存在に向き合っている姿は、丁度、広大な荒野に一人放り出されたようなものだった。
今の「諦めの早さと同時に何事が起こっても後悔しない」という一見無自覚な態度は、前述の体験が自己の性格形成に大きな影響を与えていたと思っている。
私の目を開いてくれた師(水戸黄門の由緒、本山久昌寺貫首石川泰道猊下)は、「所詮、人間誰しも逆境は避けなれないもの、だからその中にあって逆境こそが 自分を育む恩師と悟れ」と、暗闇に迷う自分を導いて下さった。
四十歳を過ぎて、その示すところがようやく判りかけてきた。
「出来ない」とか「越えれない」とか、もともと観念の世界であって、そのようなこだわりとは関係のない自由で新鮮な世界が在ることに目覚めさせて頂いた。
そして、総てを生かして止まない大慈悲心の御親、法華経に説かれるご本佛の御心に触れ、更に新鮮な世界そのものが既に自分の胸中にあったことをも知ることが出来た。

宮守へ
2022.02.11



本日は、宮守のお寺さんの年中行事のお手伝いです
毎年500人を超える参拝者がある大法要です
真冬に行う「水行」は身を心も穏やかにしてくれます
日に7度「水行三昧」だった荒行堂を懐かしく思い出しています
※写真は過去のものです

水子供養 / 流産 : 岩手県金ケ崎町
2022.02.10

【過去事例】水子供養
霊能者から過去の水子が障っていると言われたそうです
色々と家庭内が上手くいかなく途方に暮れていました
運命鑑定をして、霊能者からの呪縛を解き、ご縁のあった水子を供養しました
今では毎月お参りに来て信心を重ねています
60代女性からの依頼でした
水子供養 / 流産 : 岩手県金ケ崎町

祈祷 / 魂入れ祈祷 : 岩手県奥州市
2022.02.08

【過去事例】祈祷依頼
仏壇の位牌を1つにまとめたいと相談がありました
「回出位牌」か「過去帳位牌」を勧めました
新しく購入した位牌の魂入れと、古い位牌の魂抜きを行いました
70代男性からの依頼でした
祈祷 / 魂入れ祈祷 : 岩手県奥州市

風の色(二十四)
2022.02.06

風の色(二十四)
前回に引き続き常不軽菩薩品(法華経第二十章)について考えている。
この経文(法華経)が云わんとするところは、もともと人間に生まれて来るからには、必ず佛性が備わっいて、たとえどんな極悪非道の人間であっても心の奥深い所に尊い佛性が宿っているので、その佛性に目覚めさえすれば必ず佛に成ることができるとするものである。
しかし、多くの凡夫が、己の佛性を呼び覚ます縁(機会)に会わないことを嘆き、その縁を結ばせるために不軽菩薩が現れ、どのような人々に対しても会う度に合掌礼拝の行を惜しまないのである。
我々日常生活の中で、不軽菩薩の心は相手を必ず佛に成る人と思うが故に「何事に対しても何々させて頂く」という感謝と謙虚な心につながっていく。
私が、唱題行を始めたころである。
一度の面識もなかった東京は東日暮里に大材木商を経営する日野様夫妻から一丈六尺の玄題(題目を墨書した)旗を送られた。
今尚、当山本堂の両柱に掲げてある。
この方は、日蓮聖人の出家得度されたご霊蹟千葉県の清澄寺に、宗門の子弟養成のための訓育道場を建立した一人である。
その方は、総てこちらから喜んで功徳を積ませて頂いたもの、むしろ寄進した感謝のお礼は当方にありと、まさに菩薩行に精励している。
今の世を見れば、社会や人々のために何か施せば、決まって恩にきせたがる。
これも折角の尊い志を持ちながら心の向きが逆になっているので功徳どころか、かえって醜い心が涌き起こる。
古来から「法華経修行の肝心はこの経文にあり」と。
人生が長いの短いのといっても所詮一睡の事、この一睡にどう生きようぞと思う。
不軽菩薩の大慈悲心に心を向ける生き方ができないものかと、日々に猛省そして精進あるのみと。

令和四年大黒祭
2022.02.03



妙法寺の節分は、大黒祭です
「福は内」と福まきをします
大黒祭「開運招福祈祷法要」は13時から厳修致します

二月三日は大黒祭
2022.02.01



毎年節分は「大黒祭」を行います
お寺のお祭りです
各家庭、各会社、各店舗に奉られている大黒様を、日蓮宗伝統の古式に則り、一体一体丁寧に沐浴供養します
一年間の家庭安全、商売繁盛、五穀豊穣などを祈願します
大黒様をお持ちの方はお気軽にお問い合わせ下さい
福が宿る、お祭りの準備を進めております

風の色(二十三)
2022.01.30

風の色(二十三)
今から三十数年前、法華経信仰によって全国中のライ患者救済の先頭に立たれた綱脇龍妙という高僧が身延山におられた。
ライ患者と生活を倶にし、法華経による心身の救済に生涯をかけられたまさに現代の菩薩である。
患者の方々はこの高僧を生きた佛様と呼んでいた。
その施設を「深敬園」といった。
この由来は、法華経の第二十章にある常不軽菩薩品の経文の中、「我れ深く汝等を敬う、敢えて軽んぜず」という所からとったものである。
経に云く。
その昔、常不軽という比丘は、会う人誰にも「あなたは必ず佛に成る人」だからと礼拝合掌する。
一方、道往く人々は、何度も敬われるのを忌避するあまりその菩薩を追い払う。
でも追い払われても遥か遠くで「私は決してあなたを軽んじません、いずれは佛に成られる人ゆえ」といってまた合掌する。
この徹底して合掌礼拝する常不軽の菩薩行こそ釈尊の過去世の姿と説く。
信行道場に入っていた時である。
主任先生が道場生の研修のためにこの施設を見舞った。
そこで一度だけ綱脇上人が施設の庭先で患者の方と語り合っているのを見て驚いた。
後向きの患者の片腕しか見えなかったが、綱脇上人はまさにお給仕のお姿なのである。
このような崇高な人間の姿に出会ったのは初めてだった。
そしてこれほどまでに法華経の信仰が昇華されるものかと法友たちと倶に感動したものだった。
その時の熱い感動はどんな立派な説法より心に染みて今でも忘れられない。
一寸した善意でも見返りを求める心(何々をしてやったという傲り)が横行するこの世相。
与え、与え尽くして、何も求めない心(お陰様で何々させて頂いて)が本当の菩薩いや人間の心というもの。
改めて信仰の深さを噛み締めている。