風の色

風の色(二十九)
2022.03.13

風の色(二十九)
私にとって小さい時から親同様に可愛がってくれた篤信のT婦人が重病を煩い入院後まもなくしてこの世を後にしたのは今から十七年前、凍てつくような寒い時だった。
症状は末期のご様子と聞いていたので、面会も制約があったと思っていたが、比較的自由に応じて頂いた。
そこは陽光が一杯にさす静かな個室だった。
お見舞する度にとても喜んで下さった。
しかし、症状がかなり進んでおられたようで、激痛の頻度も増してそれに必死に耐えておられた様子が痛いほど伝わってきた。
にもかかわらず、時には笑みさえ浮かべてお話されるので、逆にこちらが慰められているような緊張感で冷や汗が脇の下から流れるのを感じていた。
T婦人のこのような強い精神力というか、ご本佛様を信じきった心構えに人間の尊厳な姿をみた。
その都度、しっかりした口調で、残す家族の事などいろいろと後事を託しておられた。
「私のような女でも、値い難き人間に生まれ、更には値い難き佛法に会い、その中にも法華経という尊い教えに導かれ、不思議のお題目を唱えさせて頂いた人生には何の悔いもなく(ご本佛様に対して)有難いという感謝の一言です。」というT婦人のお言葉は何時までも消えないでいる。
このような内容の言葉は遥か以前より伺い知っていたが、病床でしかも末期の時だけに一層真実味がこもっていた。
この時に私は、T婦人がもう既にご自身の命について、さほど遠くない事をその瞳の奥から感じていた。
晩年になってT婦人は、信仰面においてあまりに厳格なご気性なので、他から敬遠されもしていた。
その意味で孤高に生きた方といえる。
孤高といっても、その中身は寂し過ぎる。
それも人の一生と多くのことを学ばせて頂いた。

東日本大震災第12回忌
2022.03.11


追憶と鎮魂
御霊に祈りを。

当山の四季模様
2022.03.08

時々、お寺の境内状況が知りたいという要望が増えました
コロナ禍、遠地の檀家さんとお寺に足を運ぶ機会が少なくなった事が要因と思います
不定期ですが、当山の境内模様をお知らせします
冬期間は昨年同様、雪が多く積もりました
しかし、昨年よりも雪解けは早いようです
春彼岸までにはお墓参りが出来るかもしれません
おまけに、境内を散歩していた猫ちゃんもパシャリしました

風の色(二十八)
2022.03.06

風の色(二十八)
今は亡き師父は、昭和五十六年、私に住職を譲ってから、隠居の身として暮らすようになった。
この年が丁度、宗祖日蓮聖人の第七百年遠忌に当っていて、師父もこの機会に法燈を私に託したものと思われる。
私は、終身現役で住職の任にあって欲しいと願っていたし、その方がむしろ心身共にふけることなく健康でいられると思っていた。
しかし、師父は、何の迷いもなく隠居を決断して自ら手続きを済ましてしまったのである。
普通なら師弟の間に後継の確認ぐらいはあるものと思っていたが、この時の師父の心境には師弟の間柄というよりも、むしろ親子の情に傾いていたような気がしている。
多分、私に法燈を継承しても安心だというより、後はお前に任せたから好きにせよという軽い気持であったと思っている。
この時の師父は世寿八十二歳である。
案に違わず、めきめきふけ込んでいったが、私が病気で入院した途端、またもとのように元気を回復した。
これが佛法に仕える最後の機会と思って毎朝勤行に精を出したようである。
私が退院すると、殆ど部屋に閉じ篭もり、何故かよその人を避けるようになり、専ら好きな本を読んだりしていた。
その内、次第に体力が衰え寝込むようになった。
そして臨終までの七年間、病いとほどほど仲良く暮らしたと思っている。
その生き様は、何の不平もなく、感謝の一念、任せっきり、何事もよきにはからえであった。
何事かを問えば、その返事が笑顔であったのが印象的だった。
このような生き方の善し悪しは別として、老いの生き方を沢山教えて頂いたと思っている。
まさに法華経信仰の賜物と深く肝に銘じている。

人生相談 / 命名判断 : 茨城県日立市
2022.03.04

【過去事例】人生相談依頼
長女の命名で悩み相談に来ました
2つの候補がありどちらが良いか迷っていました
運命鑑定を行いました
20代男性からの依頼でした
人生相談 / 命名判断 : 茨城県日立市

ペット納骨 / 猫(雑種) : 岩手県奥州市
2022.03.01

【過去事例】ペット供養依頼
交通事故で突然の別れとなりました
3歳でした
小さな亡骸を抱きしめて来寺されました
60代男性からの依頼でした
ペット納骨 / 猫(雑種) : 岩手県奥州市

風の色(二十七)
2022.02.27

風の色(二十七)
日蓮聖人の御遺文の中に、『苦をば苦と悟り、楽をば楽とひらき、苦楽共に思い合せて南無妙法蓮華経とうち唱へ居させ給え此れ豈に自受法楽にあらずや』(四條金吾殿御返事)とある。
前回「やるべき仕事を求めて」-求道の道を-邁進するしかないといったが、いささかおおそれた表現で恐縮している。
私にとって娑婆の修行とは、苦修練行というよりは日々の暮らしそのものと言ってよい。
それは、お寺でも学校という職場でも家庭でも一般社会でも、何処においてもその時その場が修行であると思っている。
特にも私を取り巻く人間関係を抜きにしては考えられない。
私も含めて、自分が一番正しいと思い込んでいる節がある。
他人を羨んでは嫉妬心をおこしたり、また他人の欠点が目先にちらつき、愚痴とも思える悪口をなしてはますます自己嫌悪に陥るのがお定まりである。
この繰返しが自分なりの宿業を積み重ねていくことになる。
最後は、この世は嫌なところとなるが、結局、そこから避けられない宿命に置かれているのである。
冒頭の言葉は、何時も私の胸に置いてある。
しかし、悲しいことに業が先に出てしまい、折角の戒めも影を薄めてしまう。
だいたいこの世においては、楽なことより苦のほうが殆どを占めている。
だからこそ、その苦との暮らし如何んが、人生を寂しいものにするか豊かにするかとも言える。
誰しも心豊かでありたいと願う。
実は、こうした娑婆の修行なくしては、求道の原点に立てないと思っている。
それは、苦をば苦と悟り楽をば楽とひらくところから始めねばと思いつつ、所詮、人間一生、心の修養と肝に銘じている。

水子供養 / 堕胎 : 岩手県花巻市
2022.02.24

【過去事例】水子供養
堕胎してから、数ヶ月悩み続けました
彼氏と二人で地元では無い場所を探したそうです
やっと手を合わせられ、涙が止まりませんでした
20代女性からの依頼でした
水子供養 / 堕胎 : 岩手県花巻市

祈祷 / 合格祈願 : 岩手県奥州市
2022.02.22

【過去事例】祈祷依頼
大学合格の祈願をしました
受験生と母親二人での来山でした
40代女性からの依頼でした
祈祷 / 合格祈願 : 岩手県奥州市

風の色(二十六)
2022.02.20

風の色(二十六)
二十代後半のころ、自分の生命が尽きる時(死)について真剣に考えていた。
ずばり四十代前半と思っていた。
何を今更「五十三年の歳月を生かして頂いて、何事か」と。
風の如く通り過ぎた若いころを回顧している。
教員となった最初の赴任地が、久慈(岩手県内)であった。
私にとってこの地の風土が、内陸に住んでいては到底感じられないロマン的なものに映った。
また、不養生が原因で、病床の中で知り得たキェルケゴール(短命の実存主義哲学者)の作品に心震わせ、潮騒の音で目を覚ました日々は、いやがうえにも詩情をかきたてた。
このままで生きて、せいぜい四十歳そこそこと。
不安は隠せなかった。
確か数え年四十二歳(いわば本厄)の時である。
原発性アルドステロン症という二次性高血圧のため左副腎を摘出した。
入院中は日夜、以前から脳裏に潜んでいた「生命が尽きる時」を意識し続けていた。
もしかしたら「本当かも知れない」と。
人生の中で、死と真剣に向き合ったのはこの時期である。
以後、幸いにして生命を頂いているが、そのことの意味を、退院直後に考えたものだった。
「おまえは、娑婆の修行がまだ足りない、やるべき仕事が済んだら来い」と。
きっと、ご本佛様の思し召しに違いないと思った。
それ以来というもの「生命が尽きる時」とは、こちらが推し量ることより、ご本佛様のご意向に添えば安心と思うようになった。
そして、何より「やるべき仕事」を求めて(求道)生き通すことしかないと。

命限り有り、惜しむべからず、遂に願うべき者は、佛国なり。
《日蓮聖人 / 富木入道殿御返事》