風の色
- 祈りと信仰(十五)
- 2023.02.26
祈りと信仰(十五)
誰でもが、一生の生活で共通して欲している理想といえば、一つには「死にたくない、長く生きたい」二つには「楽をして苦労はしたくない」三つには「自由で何にも束縛されたくない」四つには「平和で争いのない国土に住みたい」というまさに浄土(菩薩集団の国土)そのものであるが、それは「求めて得ざる苦」即ち不可能に近いものである。
一方、我が身の心を覗いてみると「一向に生き甲斐が見つからない」し、「安楽どころか苦労ばかりで行く末を案じ」また「世の中は窮屈で思うどおりにいかない」ばかりか「態度でごまかしても本音は他人の悪口や妬みや争いごとで一杯」というまさに穢土そのものなのである。
しかし、常に理想の境地を心に抱いている事実には変わりないが、理想と現実の差が余りにも甚だしい。
そこを埋めるために菩薩行の実践がある。
釈尊のご真意である佛教というものは、一般に凡夫が修行等して佛になる道を説いたというが、むしろ佛の姿から真の人間(菩薩)たらしめる道を説いたと云うべきである。
- ペット納骨 / 猫(雑種) : 岩手県奥州市
- 2023.02.24
【過去事例】ペット供養依頼
定年後に飼い始めたペットでした
夫婦の癒やしとされ愛され続けたそうです
綺麗な花をお供えして供養しました
70代男性からの依頼でした
ペット納骨 / 猫(雑種) : 岩手県奥州市
- 水子供養 / 堕胎 : 岩手県一関市
- 2023.02.21
【過去事例】水子供養
過去にあった経済的な理由の堕胎を供養したいと連絡がありました
今まで供養してこなかったことに心苦しんでいました
打ち明けられた家族全員で沢山の供物を供え供養法要をしました
50代夫婦からの依頼でした
水子供養 / 堕胎 : 岩手県一関市
- 祈りと信仰(十四)
- 2023.02.19
祈りと信仰(十四)
最近の朝は気温が下がり肌寒い。
朝勤中、曙光が本堂の入口正面に差し、そのかすかな温かみが、丁度私の背後の障子を通して感じられる此の頃です。
今朝もその障子の外で頻りに刷るような音が読経中の耳に入ってきた。
言うまでもなく、御寶前での勤行は清浄で曇りない心を頂けるから有り難い。
それが済むと境内の墓地や当山守護の諸天善神に法味を言上する慣わしなのでお題目を唱えながらその障子を開けたその瞬間まぶしい陽光に包まれ、眼前には沢山のトンボが障子にはりついたり翔んだりしていた。
もっと驚いたのは、足元の回廊と階段に沢山のトンボが正面を向いて不動の姿で留まっているのです。
このような神秘的な光景は始めて体験することで、まるで無数の佛様と倶に浄土に住まわして頂いているようで何か目頭が熱くなってきた。
形こそ違え生きとし生きる命が法界の中で感応し会う喜びを味わい、同時に、まさに、「お陰様で生かされている」事への感謝と、内なる佛心が自然にはたらきかける信仰の有り難さを感じさせられたのです。
その一方、人間界だけでいくら覚りを開こうと思っていても、また成佛しようと思っても難しいことを知らされた。
法華経の世界観は、この地球どころか宇宙のあらゆるものが根源なる命(ご本佛)から生成して、その分身としてそれぞれの価値をもって存在していると説いている。
従って、トンボに限らず草木やあらゆる命も私たち凡夫と同様に助け合って成佛あらしめるようにこの世に存在していると観なければ浄土も存在しないことになる。
実は、今問題の切実な環境浄化の原点もここにあると思うが、
「心浄ければ土も浄し」とはこの事と思わしめている
- 祈祷 / 庭木伐採 : 岩手県奥州市
- 2023.02.16
【過去事例】祈祷依頼
松食い虫で、古木の松が枯れてたそうです
先祖様が何度も見上げてきた黒松を、伐採前に供養したいと連絡を頂きました
黒松前にて、お経を上げ祈祷供養しました
40代女性からの依頼でした
祈祷 / 庭木伐採 : 岩手県奥州市
- 挑戦すること
- 2023.02.14
日蓮宗公式LINE3分法話■挑戦すること
- 祈りと信仰(十三)
- 2023.02.12
祈りと信仰(十三)
師父の遷化以来、夢幻の如く過ぎ去った今、ようやく心も平常に物静かにあの炎天の影を追って葬送の有様を思い浮かべている。
死期に間に会わなかったあの時、何故か必死に呼び掛けようとしても咽喉の奥から声が出てこない。
普段の熱を推し測るようにそっと額に手をあてた時も未だ温もりがあったし、師父は生きいるように思えたが、翌日の闍維(僧の荼毘)が済んで遺骨を抱いた時の温もりによって師父との本当のお別れであると覚った。
同時に人間として尊厳なる死と生の意味を体験させて戴いた。
私の人生四十九年が間師父との関係の総てがこの一瞬の定めとなっていたことを。
これ以上言葉に尽くせないが、強いて表現すれば、共に法華経信仰という絆で結ばれていたればこそ体験出来たと言えようか。
そこで、死そのものの尊厳さについて感じたことは、決して他界する者の生前の偉大さとは関係が無く、むしろ、死にゆく者と存命する者との宗教的な在り方に関わっていることではないかと思った。
常々より師父の臨終の際は、法華経の経文を読誦して幽冥の世界へ送りたいと願っていたが、ほんの一瞬の間のことだったので、それも叶わず何か心が晴れないまま暫く悔いが残っている。
しかし、今は何の煩いも無くすべて任せきった師父のあの顔猊が心から離れず、その幻影を思い浮かべては徐々に慰められのも有り難く不思議に思っている
- 人生相談 / 病気 : 岩手県奥州市
- 2023.02.09
【過去事例】人生相談依頼
3ヶ所の病院に通院しており、薬の量がかなり多く不安でお寺に来ました
最近体調が悪く、一人暮らしで、昔から信仰していた毘沙門様にお参りが出来なく、罰が当たったのかも知れないと話されました
運命鑑定を行い、毘沙門様の祟りではないことを伝え、病院の変更を進めました
病院変更後、体調不良の原因が分かり治療中と報告を受けました
70代女性からの依頼でした
人生相談 / 病気 : 岩手県奥州市
- ペット納骨 / 犬(柴犬) : 岩手県奥州市
- 2023.02.07
【過去事例】ペット供養依頼
18年連れ添った愛犬は、大好きだった散歩中に倒れ、旅立ちました
もう犬は飼えない年齢になり、寂しいですと話されていました
お墓参りを犬の散歩として良くお寺に来られるようになりました
70代男性からの依頼でした
ペット納骨 / 犬(柴犬) : 岩手県奥州市
- 祈りと信仰(十二)
- 2023.02.05
祈りと信仰(十二)
ことわざに、「人の一寸は見ゆれど、我が一尺は見えず」とある。
日頃から、我が心の内を見ないでいると、つい他人の欠点だけが目につきやすいものである。
その心の中を覗いてみると、他人どころでないことに気がつく。
そこで、次の文である。
「しばしば他面(他人の顔)を見るに或時は喜び、或時は瞋(いか)り、或時は平らかに、或時は貪(むさぼ)り現じ、或時は痴(おろか)を現じ、或時は諂曲(てんごく<こびへつらい、ひねくれている意>)なり、瞋るは地獄、貪るは餓鬼、痴は畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平かなるは人也。云々」
日蓮聖人の御遺文『観心本尊鈔』より
この文は、一般に六道輪廻と云って我々凡夫の心の有様を示されたものである。
人間は、一生の間この繰返しで終わったらどこにも救いがない。
どれを取っても苦の種だからである。
かといって、誰でも進んで悪を好む人はいないばかりか、出来ることなら心根は優しく、争いもなく皆等しく幸せを望んで生きようとしている。
一体何故だろうか。
それは、もともと佛様のような慈愛の心が同居しているからに他ならない。
それがたまたま隠れて見えないだけなのである。
つまり同居していながら中々出会えないでいる。
或る人は、形は人間なれど心は動物のような存在を真に人間の心たらしめるのが人生の目的と云ったが、当を得たものと云えよう。
実は、本願と云って心に住む同居人(ご本佛様)はあなたと出会うことを願っている