風の色

令和五年お施餓鬼法要
2023.08.20

本日13時よりお施餓鬼法要です
※お施餓鬼豆知識
お盆の時期は「地獄の窯のフタが開き、亡者がこの世に降りてくる」と言われています
懐かしい先祖とともに、餓鬼道に堕ちた者たちもこの世に訪れるため、先祖と一緒に餓鬼の供養をします
お盆はもともと「先祖だけではなく餓鬼にもお供えをする」習慣がありました
この様なことから、お盆の時期に施餓鬼法要が行われます

こころを見つめる
2023.08.17


日蓮宗公式LINE3分法話

■こころを見つめる

やわらかな心
2023.08.15


日蓮宗公式LINE3分法話

■やわらかな心

祈りと信仰(三十九)
2023.08.13

祈りと信仰(三十九)
「御宮仕えを法華経と思し召せ。一切世間治生産業は皆実相と相違背せずとはこれなり」
(檀越某御返事)
私どもは、善いことばかりの毎日ではありません。
今日はなんてついていないんだろうなあと、嘆いたり、かと思えば、いつも神仏を敬い信仰を抱いているにも関わらず一向に祈りが叶わず逆に神仏をそしってしまうような経験がおありのことと思います。
そのようなことを思うのも、煩悩の衣をまとっている私どもがいつも快く働き生活することが当たり前のことのように思っていることに原因があるからなのです。
しかし、法華経の説くところによるとこの世に生まれてきた者はすべて汚れた醜い娑婆の中で如何に修行するかの道を示しているのです。
嫌な目に合ったらこれこそ自分に背負わされた娑婆の行(法華経と共に生きている自分・神仏に宮仕えする自分・前世及び今生の惑業を滅する時)と思い励みたいものです。 

精霊棚、盆棚
2023.08.11

核家族化が進み、最近特に、この季節に精霊棚、盆棚の質問が多くなります
日蓮宗の教箋(小さなポスター)を参考にしてみて下さい

水子供養 / 堕胎 : 東京都
2023.08.08

【過去事例】水子供養
都内の占い師さんに水子の存在を当てられて、ずっと心に引っかかっていたそうです
お盆に地元に戻ったときに、友人から紹介されて電話連絡を頂きました
「水子は供養してあげないと帰る場所がない、お盆も帰る場所がないんだよ」
その様に占い師に言われたそうです
お盆月の8月に供養を行いました
20代女性からの依頼でした
水子供養 / 堕胎 : 東京都

祈りと信仰(三十八)
2023.08.06

祈りと信仰(三十八)
国民教育研究所が発表した教育に関する白書の中で、人間の能力開発がどのような場合に有効に発揮できるか、その要因が、知能指数とか遺伝とか学習時間の量ではなくて、実は「柔軟で素直な性格」ということでした。
驚くことなかれ、今から二千数百年前にすでにこのような結論が出ていたとは。
つまり、法華経は、元々からどの人間にも素直な性格が備わっていると説いてたからです。
しかし私ども凡夫は、どこで横道に反れたか、素直になれない自分の性格を、代々親からの貰いものと勝手に決め込んでしまう。
といって、いつも将来に何か善いことを期待して先の方しか見ない私ども凡夫は、皮肉なことに大切な自己の源を振り返ったりはしない。
過去世の自己を素直に頂く生き方、これが佛教でいう菩薩行の真の勇気とか努力という。
こうした態度で生活するのが法華経的な人生と云えまいか。
今から、思い切ってこだわりを捨てて謙虚に生きてみたいと思う。
何時も読んでいるお経のお自我偈の中の一節に、
『質直にして意(こころ)柔軟に、一心に佛を見奉らんと欲して、自ら身命を惜しまず』とあります。
素直にものを見、素直に聞き、素直に実行する。
簡単なようでなかなか難しい。ただ、自己の源を振り返る修行なのだが。
日蓮聖人は次のように説く。
(垂迹法門の一文から現代語訳)
「人は時に怨むことがあっても、元々の心が素直であることに気が付けば佛や神はその人を守護し続けよう。云々」と。

ペット納骨 / 猫(ペルシャ) : 岩手県奥州市
2023.08.04

【過去事例】ペット供養依頼
悪性リンパ腫でのお別れでした
綺麗な毛並みが自慢の娘だったと話しておりました
60代女性からの依頼でした
ペット納骨 / 猫(ペルシャ) : 岩手県奥州市

祈祷 / 家屋解体 : 岩手県奥州市
2023.08.01

【過去事例】祈祷依頼
両親の家屋を解体するので、仏壇神棚、遺品等魂抜きをして欲しいとのことでした
依頼者は高校卒業後、東京へ就職し、家族を持ち、生家には戻ることがないと決心したそうです
遺品整理は涙が止まらなかったとのことでした
70代男性からの依頼でした
祈祷 / 家屋解体 : 岩手県奥州市

祈りと信仰(三十七)
2023.07.30

祈りと信仰(三十七)
信じていた筈のものとは、一体どういう事なのでしょうか。
私たちの生活で大切なものは、お互いの信頼関係にあることは云うまでもないことです。
所が、日常生活でも一寸したことで、親子・夫婦・友人関係で思いもよらない気まずい関係に陥ることは、誰にも経験のあることと思います。
しかし、何故、このようなことが生ずるのでしょうか。
釈尊が一言でもって諭されたのは、「執着」なのです。
いうならば「こだわり」です。
自己にも、相手にも固定的な立場(我)で見てしまうので相手は勿論のこと自己についても正しいありのままの姿をとらえることが出来ません。
この現実がただ一時でも止まっていない無常であるということを教えておられるのです(無我)。
それをあの人は以前こういう人であったなどと今もそのように勝手な思い(我)をしてしまったり、天気予報でも昨年の今頃が非常に寒かったからといって今年が必ずしもそうなるとは限りません。
現代社会は科学技術が飛躍的に発達しておりますので、統計的に物事を判断する傾向が多いので、たいへん危険な思想が蔓延致しかねません。
人間の自然な心が失われる大きな原因といえます。
お話を前に戻しますと、私たちが何を信じていたかと申しますと、それは、お互い個々に変わっていくものを変わらないかのように勝手に信じたのです。
そこに根本原因があった事に気がつかなかったのです。
釈尊は、この根本真理を説いたのです。瞬時に変化する事実をありのままに見る事を教えられたのです。
これを法華経の思想からもうしますと「諸法実相」と申します