風の色

祈祷 / 古井戸 : 岩手県北上市
2022.11.22

【過去事例】祈祷依頼
家屋解体にあたり、古井戸の供養を依頼されました
今回は、古井戸を埋める御祈祷です
井戸は直接人の体の水気の源泉であり、家相の上でも重要なポイントです
その井戸を埋めるのですから、おろそかにしてはいけません
むやみに埋めてしまった場合、その家人や携わった業者さんなどに、障りがあったり病気になることもあると言われます
祈祷 / 古井戸 : 岩手県北上市

※「井戸を埋め吉日」
春「甲子」「乙丑」
夏「丙寅」「丁卯」
秋「庚申」「辛酉」
冬「壬子」「癸丑」

祈りと信仰(二)
2022.11.20

祈りと信仰(二)
法華経が説く教えから見て、この二つの関係について申しますと一念からの祈りがあってこそ生活に恵まれそのような生活によって更に祈りが深まっていくものでありますから、いわば相互に一体となって佛様の御心を受け取ることが出来るようになるものです。
だから、特別なはからいがなくとも自然に手足が動くように尊い菩薩行の生活をいただけるのです。
もともとこのような状態が続くことが私たちが理想とする世界であり、同時に何時でも何処でも常に法を説いている久遠の世界から佛様の大慈悲心がはたらいているため、結果的には一念信解のお題目によって私たちの祈りが叶うということになるのです。
信仰によってでなければ得られない現証(祈りが現実のものとなる)によって祈りの意味が体全体で感じることになるのです。
さて、日蓮聖人は信心が強い人ほど諸天からの守護も厚いとお示しになっております。
ところが、それを自分の都合の良いほうに解釈して強欲なまでに欲得ばかりの祈りをしたがるのが我々凡夫の哀しいところです。
しかし、祈っている本人が一番そのことを知っているので、「こんなことではいけないなぁ」という反省の気持が心の奥底から聞こえてくる。
それが佛様の御心なのですからありがたいと思わなければなりません。
その反省の声に心から耳を傾けて正しい祈りに戻らなければ、日常生活も気持の奥にひそんでいる強欲な心がわざわいしてしまいます。
言いかえて申すならば、祈りとは、ご本佛からのはたらきであり、生活とは、それに応えるはたらきとなり、お題目修行の肝心であり、成佛の直道ともいえます。

高千代「焼石の雪」
2022.11.17


当山で良くお供物に上がる一品です
地元名店の銘菓となります
高千代さんの「焼石の雪」は和菓子にホワイトチョコレートがかけられている地元では珍しい一品です
安定感のある箱菓子で、供物として、盛りやすく日持ちも良いと評判があります
お供物選びの参考にどうぞ

高千代 焼石の雪
高千代 岩手県奥州市水沢吉小路18
http://www.takachiyo.net/

鏡のお話
2022.11.15


日蓮宗公式LINE3分法話

■鏡のお話

祈りと信仰(一)
2022.11.13

祈りと信仰(一)
この世において祈りのない宗教はありません。
では祈りとは何かと申しますと少し硬い表現になりますが、敬虔なる神(ご本佛)の大慈悲心を一心にこの身に映しだそうとする行為(帰依)ということです。
このはたらきを法華経では、一念信解の妙用と言っております。
お題目は、まさに最高の祈りであります。
その最高の祈りを真実の祈りと思って唱える事が大切なのです。
誰でもがよく経験することですが、忘れものをすることがあります。
しかも、自分にとってかけがえのない大切なもの(物心両面)です。
それを見つけ出した時の喜びは何とも言いようのない心の満足が涌いてまいります。
これは本来自分の心を支えていたり慰めてくれたもので、自分と一緒にあったものだからなのです。
私たちの心には元々からやさしい慈しみの心をもって生まれてきている証拠でもありましょう。
こうした心を佛性とも言いますが、これを覆い隠して見えなくすると物事の判断を誤り結果は、苦しみが重なり迷うことになるのも道理です。
日蓮聖人は、この道理を信じて疑わない人は必ず佛の智恵が備わり、祈りの叶わないことはないと導いて居られます。
ですから、お題目の祈りそのものの法華経は、言葉では言えず、心で考えることの出来ない不思議で有り難い御経であると示されております。
従って、元から備わっている佛性を一念で呼び現わすこと(お題目の祈り)によって本佛の心を己に映しだして(自己の魂に染めること)日常生活に生かしてこそ真の信仰の生活と言えます。