風の色
- 風の色(三十八)
- 2022.05.22
風の色(三十八)
今頃の朝の四時半といえばまだ真暗闇、ただ晨星だけがくっきり輝いている。
空気も清冽に満ちて格別に美味しい。
足許を見れば、街灯が濡れた路を仄かに照らしてくれるだけである。
こうした早朝の散歩がまるで別世界に感じるのは何故だろうか、かつて学生時代に経験した信行道場の頃が思い浮かんだ。
身延山の麓で三十五日間、毎朝四時半起床、西谷の急な坂を唱題撃鼓しながら久遠寺の朝勤に出仕した時だった。
私にとっては不思議なほど心の緊張感と爽快な気持ちに満ちていたことを鮮明に覚えている。
今思えば、こうした日の出前の静かな時というのは、きっと森羅万象にわたって根源なる魂が触れ合う時ではないかという気がする。
だから、ぬかるみの路も街灯も暗闇に光る晨星も悉く私の心中に投影かつ共鳴してくれているようでならない。
己の心が佛の心を宿してものを観るといったらよいと思う。
日中ではなかなかこのような経験はできないだろうと思う。
手持ちのラジオからは深夜便が流れている。
アナウンサーの声が目の前で語りかけているように聞こえてならない。
一見、日常の世界を離れているようであるが、決してそうでない。
御本佛の慈悲に導かれて浄土の世界を体験させていただいているものと感じている。
存在するあらゆるものとの一如とまでは(凡佛一如)いかないが、心の修養のためには貴重な体験であると確信している。
法華経の世界は、この無限なる人間の心の本質を伝えようとしているものである。
悩み、迷いだらけの私にこのひとときがどれ程救いになっているか知れない。