風の色

新年へ向けて
2022.12.30


本日30日は、1年の感謝をしながら、松飾り、幣束、諸神札の交換です
来年が良い年になるよう祈念しながらお取り替えなのです
※画像は、今年最後の書道教室の見本です

恩を知る話
2022.12.27


日蓮宗公式LINE3分法話

■恩を知る話

祈りと信仰(七)
2022.12.25

祈りと信仰(七)
わたしの本当の心はどこにあるの
胸のあたりかな
それとも指令塔のある頭かな
でも、どうしても見つからない
佛様にあずけていたことを忘れてた
佛様が、いつでも欲しいならあげるといっても
うっかり受け取れない
受け取ったらそれっきり佛様と話ができないから

最近、特に心に関する本が売れているという。
どうやらお金のとりこになっている我々日本人への警鐘かも知れないと思ったが、しかし、それだけではなく、文明病ともいえる心因性の疾患に悩んでいる人が増えつつあることとも多いに関係がありそうだ。
普段、何事もなく明るく健康そうに見える人でも、半分、否それ以上の人が忍び寄る“心の病”に気ずきつつある。
それだから何とかしなければならない。
まず、心の実体をじっくり見極めることではなかろうか。
それは佛心を育てることにもつながる。
さて、佛心をどのように読むか自由であるが、私は“佛になる心”と読んでいる。
無条件で佛の教えに帰依する心構えであったらこれ程の安心はない。
信仰は佛と自己とのかすがいである。
もともと心というものは自分だけのものと思うから迷いが出てくる。
佛といつも一緒と思えば楽である。
お題目を一心に唱えていれば自然にわかることである

令和4年 星祭・幣束祭
2022.12.22


12月22日冬至、13時より法要です
1年で夜が一番長い冬至の日、星が一番長く光り続ける日です
「星に願いを」
1年の厄をはらい、来年の好運気を授かりましょう

幣束作成
2022.12.20


新しい年を迎える準備をしております
12月22日(冬至)の星祭り法要にて、各家庭の幣束、御札の開眼をします
幣束作りは魂を込める時間となります

祈りと信仰(六)
2022.12.18

祈りと信仰(六)
少々固い表現になりまして恐縮ですが、法華経の世界観で申しますと、本来、この宇宙の森羅万象すべては、神(ご本佛)の恵である大慈大悲の御心が備わっていないものはないとする考えであります。
大慈悲の御心とはすべてを生かすはたらきと申せましょう。
ですから、この世に存在するもの、また、この世に起こり起こるところのあらゆる現象も、調和のとれた至福をもたらすものであります。
私どもの生活の中で身近な例で申しますと、それは心もほどほどに満ち、物にもとかく不自由なく暮らせる日々を送れる、そのことがご本佛のはたらきでありまして、そこに有り難いと感じることを感応と申しますが、このことを理解していくためにもう少し先の方へ進んで参ります。
その有り難いと感じる自身の胸中にご本佛様がお棲みになっているとしたらどうでしょう。
自分自身が感じたと思っていたものは、実は、ご本佛様が自身と一緒に感得されていた事になります。
目には見えない姿でありますが、間違い無くお棲みになっている証拠は真に有り難いと感じるからであります。
ここに、日蓮大聖人が一切経の中から法華経を選びとられた理由がありまして、そのご法門が『凡佛一如の歓喜をあらわす』という聖句であります。
このことから、私どもの日常の信仰や信心と呼ばれる、その意(こころ)に自身の振る舞いが、常にご本佛のはたらきであり、ご本佛との感応なしでは起こりえないことを肝に銘じて精進したいものと思います

除雪機祈祷
2022.12.16


本年、除雪機の奉納がありました
雪が降る中、除雪機の作業安全、交通安全の祈祷をしました
当山オリジナルの交通安全ステッカーを貼りました
打ち出の小槌型のステッカーで珍しいものとなります
妙法寺の仲間として、これから大切に使わせて頂きます
祈祷 / 作業安全 : 岩手県奥州市

【2022年冬】当山の四季模様
2022.12.12


今週から雪が降り続いております
冬本番です
当山へお参りするときは足下と本堂の落雪にご注意下さい

祈りと信仰(五)
2022.12.11

祈りと信仰(五)
明治の文豪夏目漱石は、「私の個人主義」の中でイギリスでの体験から次のようなことを述べております。
『この国は何よりも人間の自由を大切にする所で、日本とは比較にならない。では何をしても自由かというと、そうでなく小さな子供から大人に至るまで常に相手の自由をも尊ぶ精神があって社会が秩序正しく成り立っている。』と。云々。
勿論、明治時代の日本人の社会通念からすれば異質な国の風情に映ったのも当然といえます。
また、日本人として彼がこのような異文化から受けた衝撃は一方では歴史の姿以上にもっと根源的な違いを見抜いていたと思われます。
所で、この漱石の文明比較を単に現在の私たち日本の姿(無秩序な自由の氾濫)にスライドさせて見ると、一体日本人は明治時代から何歩進んだのかと疑いたくなります。
まさに今の日本は、ひたすら留まるところの知らない私利私欲の特急列車に乗っているようなもので、ブレーキがあっても故障状態といえましょう。
当時のイギリスの社会に根ざしていたもの、それは信仰だったに相違ありません。
敬虔な神への祈りを大切にする人々にとっては、必要以上の豊さを求めないのが普通でありますし、物と引き換えに大切な心を持つことに人間としての価値や誇りを見出した証拠です。
この辺に人間社会の基本的な秩序があるように思います。
では我々日本人が何故このような秩序を育まなかったのでしょうか。
これは大変大きな問題といえます。

相手を思いやる話
2022.12.08


日蓮宗公式LINE3分法話

■相手を思いやる話