風の色
- 眼のお話
- 2022.11.29
日蓮宗公式LINE3分法話■眼のお話
- 祈りと信仰(三)
- 2022.11.27
祈りと信仰(三)
信仰生活の基本的な態度と申しますのは、結局は、日々にご本佛によって生かされていることへの感謝の気持に尽きます。
佛教ばかりでなく、世界的宗教と言われるキリスト教にしても、イスラム教にしても、所詮はこの心で生きることを教えていると思います。
森羅万象この世に存在する総てのものはご本佛の分身でありますから、仲良く共存共栄せんとしています。人間だけが生きる世界でないことは確実です。
日蓮大聖人もよく太陽や月に向かって自我偈を読まれたり、身延山でのご生活の折も、風やそれに揺れる草木にも、流れる川の水の音にまでも、常に妙法を唱えておられます。
そこには、只々有り難いの一心と受け止めさせていただいております。
さて、私ども凡夫は、毎日のように不平不満の中で生きているのが正直なところです。
ですから益々苦しみと迷いが交叉して絡み合い一向に安楽な心に到らないのも当然であります。
所が、本当の信心を行えば自然にご本佛の御心がいただけるのですが、中々その信心とやらが実行出来ないのです。そこで、その信心の一歩手前で行いたいものの中で大切なのが懺悔する気持であります。
これを飛ばして只々願い事ばかりの信心は形は似ていてもご本佛には、中味は偽物と映ることになるのであります。
まず、懺悔の心をもって神佛に向かう事が初心と心得たいものです。
私たちがてらうことなく素直になって深い罪を悔いる、その心を本気になって養う態度をもってこそ、自ずから感謝への心につながる佛道と言うものではないかと思いますが、如何でしょうか
- 水子供養 / 堕胎 : 熊本県熊本市
- 2022.11.24
【過去事例】水子供養
縁というモノは不思議で遠方よりの供養依頼でした
コロナ情勢の為、車で旅行していた夫婦がなぜか私のお寺で足が止まったとの事でした
何年も忘れられていたその子に光が差し込んだ瞬間でした
40代女性からの依頼でした
水子供養 / 堕胎 : 熊本県熊本市
- 祈祷 / 古井戸 : 岩手県北上市
- 2022.11.22
【過去事例】祈祷依頼
家屋解体にあたり、古井戸の供養を依頼されました
今回は、古井戸を埋める御祈祷です
井戸は直接人の体の水気の源泉であり、家相の上でも重要なポイントです
その井戸を埋めるのですから、おろそかにしてはいけません
むやみに埋めてしまった場合、その家人や携わった業者さんなどに、障りがあったり病気になることもあると言われます
祈祷 / 古井戸 : 岩手県北上市※「井戸を埋め吉日」
春「甲子」「乙丑」
夏「丙寅」「丁卯」
秋「庚申」「辛酉」
冬「壬子」「癸丑」
- 祈りと信仰(二)
- 2022.11.20
祈りと信仰(二)
法華経が説く教えから見て、この二つの関係について申しますと一念からの祈りがあってこそ生活に恵まれそのような生活によって更に祈りが深まっていくものでありますから、いわば相互に一体となって佛様の御心を受け取ることが出来るようになるものです。
だから、特別なはからいがなくとも自然に手足が動くように尊い菩薩行の生活をいただけるのです。
もともとこのような状態が続くことが私たちが理想とする世界であり、同時に何時でも何処でも常に法を説いている久遠の世界から佛様の大慈悲心がはたらいているため、結果的には一念信解のお題目によって私たちの祈りが叶うということになるのです。
信仰によってでなければ得られない現証(祈りが現実のものとなる)によって祈りの意味が体全体で感じることになるのです。
さて、日蓮聖人は信心が強い人ほど諸天からの守護も厚いとお示しになっております。
ところが、それを自分の都合の良いほうに解釈して強欲なまでに欲得ばかりの祈りをしたがるのが我々凡夫の哀しいところです。
しかし、祈っている本人が一番そのことを知っているので、「こんなことではいけないなぁ」という反省の気持が心の奥底から聞こえてくる。
それが佛様の御心なのですからありがたいと思わなければなりません。
その反省の声に心から耳を傾けて正しい祈りに戻らなければ、日常生活も気持の奥にひそんでいる強欲な心がわざわいしてしまいます。
言いかえて申すならば、祈りとは、ご本佛からのはたらきであり、生活とは、それに応えるはたらきとなり、お題目修行の肝心であり、成佛の直道ともいえます。