風の色
- 後藤屋「どら焼き」
- 2022.09.29
当山で良くお供物に上がる一品です
地元名店の銘菓となります
後藤屋の「どら焼き」はご先祖様、思い出の一品と感じます
お供物選びの参考にどうぞ
後藤屋 どら焼き 小倉あん
後藤屋 岩手県奥州市水沢大町78
https://mugituki.com/
- お供えものについて
- 2022.09.27
近年、お供え物について質問を受けることが多くなりました
「お菓子や果物はご先祖様のことを考えて、選んで下さい」とお話しします
生前好きだったお菓子や果物、または季節の果物などです
生まれ育った郷土菓子もインターネットの普及でご法事に持参される方も増えました
◆お供物として避けて頂きたいものがあります
仏教では無駄な殺生をしないと説かれています
故人が好きだったとは言えども、供物には「肉や魚」などの殺生したものはNGです
また、刺激の強いものもNGです
「にら、らっきょう、ねぎ、にんにく、しょうが」の五辛(ごしん)はお供えできません
今後の「お供物カテゴリー」では、当山で人気のある供物を随時アップしていきます
皆様の参考にして頂きたいと思います
- 久遠のみち(八)
- 2022.09.25
久遠のみち(八)
前回、久遠のみちの原点が見える云々……。と記したが、私自身、ものを考える際に基本的には原点を踏まえているつもりである。
しかし、実際にはそれを等閑にしている場合が非常に多い。
そこで、もう一度、確認の為に数回前の「久遠のみち」で触れたー佛とは一体なんぞやーに立ち戻って考えて見たい。
佛とは何か。この単純にして判るようで判らない問いである。
一般的には、死人と直結したり、一方では摩訶不思議な存在として、崇高且つ最尊の超人格をさしている。
しかし、釈尊の覚り全体に照らしてみたら両方とも的はずれといえよう。
佛について予め誤解のないようにお断りしておきたい。
一般的に佛というと人格的なものを賦与する傾向は否めない事実である。
しかし、佛とは何かを理解するためには、佛界というように最初から個人格を超えた広がりの中で捉えるのが分かり易いと思う。
更に、この問いに解答を出すことが、久遠のみちをもっと具体的に明らかにしてくれるからである。
宮沢賢治が法華経や日蓮大聖人の御教えに感得して得た境地、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」は、人間凡夫の理想の生き方が佛を生きることであり、それが人間が求めて止まない究極の幸福と談じたものである。
ここで言う「世界全体が幸福に」が佛界であり、人類共通の理想をさしている。
従って、佛界(全体の幸福)は個々人が所有できるものではないということを前提にして「デクノボー精神」という菩薩行で生き通すことに徹したものである。
個人的には佛には成れないが菩薩として佛を生きる事の幸福を一心に「南無妙法蓮華経」に結んだと言える。
佛(界)の真相は目に見えないが、例外なく総ての生きとし生けるものの中に住み給うことだけは事実である
- 9月23日(お中日)はペット慰霊祭
- 2022.09.22
月23日はペット慰霊祭です
亡きペット(家族)に手を合わせましょう
『言葉は通じ合わなくとも心は通じ合ったあの日、あの時の感謝の気持ちを伝えましょう』
※宗旨・宗派を問いません
- 秋彼岸
- 2022.09.20
秋のお彼岸です
感謝の心をもって、ご先祖様に追善供養の誠をささげましょう
本年は9月20日(火)から9月26日(月)となります
- 久遠のみち(七)
- 2022.09.18
久遠のみち(七)
残暑お見舞い申し上げます。
なんと前回から久しく二年余りご無沙汰してしまった。
この間、多くの方より「ひそかに楽しみにしていたのに」「そんなに忙しいのですか?」等々、
伝道ハガキに寄せる方々の真面目な思いを背に受けながら「何とかしなければ」と、反省しつつ今夏を迎えた。
お檀家さんが百軒足らずなのに何故そんなに忙しいのかと尋ねられるが、お寺と聞けば葬式と法事だけと考えている人にとってはかなり理解しがたいと思う。
確かに退職後、霊断師会の本部役職に就いてからというもの会の仕事や全国各地への出向が多く自坊を空ける事がしばしばであった。
しかし、この伝道ハガキの空白期は私にとっては全く無益なものではなく寧ろ「久遠のみち」に繋がるものを温めていたといってよい。
近頃、天地自然が我々人間社会に対し手を緩めることなく襲いかかってる。
その人間社会も、いとも簡単に人命を奪ったり、親子の絆も切れて悲しい出来事がおこり、果てはエセ宗教に翻弄されて自己を失っていく若者たち、大量消費時代における食品管理の落とし穴に泣く惨事等々、我々はどの道逃れることが出来ない時代に生きている。
実のところ、こうした現象は質の違いこそすれ太古の昔からあったものだ。
今や、科学技術文明不滅論の社会にドップリと漬かってしまった我々は、一時の便利や安楽に満足するあまり、事の真相を覚知することに麻痺してしまったと言える。
本当の事を言うと、誰の心(遺伝情報)にも往古より自然の恵みを承けて共存してきた事を忘れていない筈である。
この辺から久遠のみちの原点が見えてくるような気がする
- 目覚めて聴きたい話
- 2022.09.16
日蓮宗公式LINEにて3分法話が始まりました
分かりやすく、3分はちょうどいい長さですね■目覚めて聴きたい話
- 人生相談 /夫婦関係 : 岩手県奥州市
- 2022.09.13
【過去事例】人生相談依頼
奥様からの相談でした
浮気を発見して悩んでいるとのことでした
夫婦関係、子供のこと、今後の事を運命鑑定しました
人生相談 /夫婦関係 : 岩手県北上市
- 久遠のみち(六)
- 2022.09.11
久遠のみち(六)
長く続いているこの伝道はがきの中で随所に法華経、法華経と何度も出てくるが、一体、法華経とはどんな教えなのか?
また法華経を人類救済の経典とされた日蓮聖人との関係について簡要に言って貰いたいとの質問を頂いている。
しかし、なかなか要にしてお答えできないのが残念であるが、強いて言えば次のような説明になると思う。
法華経の特色として、一つ目は、誰でもが佛に成ることができると言うことであり、二つ目は、誰でもが永遠に滅することがない命である本佛の種を宿していると言うことではないかと思っている。
この両者は、表裏一体をなしているもので、万人の心の中の奥深いところにある本佛の願い(釈尊と同じ心根で生きよとの呼びかけ)そのものであり、人類愛と言ってよい。
このような教えを現実に引き映して、誰もが着の身着のままで成佛できる実践宗教をお立てになったのが宗祖日蓮聖人である。
宗祖の誓願は、お題目を口・意・身で唱えると言う祈り(易行)を通じて、我々凡夫大衆が佛の位にまで高められることを不屈の信仰によって実証されたものである。
所で、どんな素晴らしい教えでも、現実の人間生活に活かされなければ薬の効能書きと同じことになる。
要するに、観念だけでは凡夫大衆の救いにはならない。
だから現に救われたという安心立命が実感された時に初めてその教えが現実のものになっていくのである。
宗祖は、ここの急所をお題目の神秘に結ばれたのである。
宗祖の教えの総てをご妙判と称しているが、それは法華経を生涯通じて経文どおりに体得された結果お示しになった御書で、それ故そのご生涯を抜きにしてはご拝読できないものと思っている。
- 水子供養 / 堕胎 : 岩手県北上市
- 2022.09.08
【過去事例】水子供養
新しい位牌を持参されて水子供養をしました
ずっと胸にしまっていた思いを話して行かれました
40代女性からの依頼でした
水子供養 / 堕胎 : 岩手県北上市