風の色

怪談和尚・三木大雲上人
2021.09.29


毎年、秋に怪談説法をお願いしていたお上人がいます
その名は怪談和尚こと「三木大雲」上人
私の修行時代からの付き合いのある同級生のお坊さんです
今ではテレビでも見かけるお馴染みの有名人となりました
怪談説法もコロナ禍で開催が難しいですが、また会いたいですね

彼の半生が綴られていました
有名な宝くじで1億5000万円当たった話もありました
使い道の話もリアルでしたね
中々面白かったです
文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/47540

水子供養 / 堕胎 : 岩手県奥州市
2021.09.28

【過去事例】水子供養
以前、水子供養をした方からの紹介でした
水子供養をどの様にするか分からなく、数年悩んでいました
やっと供養できると涙を流しました
20代女性からの依頼でした
水子供養 / 堕胎 : 岩手県奥州市

祈祷 / 厄払い : 岩手県奥州市
2021.09.27

【過去事例】祈祷依頼
男性の本厄である42歳の厄払いをしました
この方は、前厄、後厄と三年間毎年厄払いに来ました
40代男性からの依頼でした
祈祷 / 厄払い : 岩手県奥州市

風の色(七)
2021.09.26

風の色(七)
檀信徒の各家々のお仏壇に向かってお経をあげて歩くことをお棚経という。
本格的に始めたのは大学時代である。
老僧と昵懇の関係にあった東京は台東区谷中の長運寺様にお世話になり、春秋のお彼岸そしてお盆と年に三回(延べ十五日間)お棚経の経験をさせて頂いた。
一日平均十三、四軒だったが、早朝より日が暮れるまで足が棒のようになるまで歩いた。
まず早朝千葉の柏市から始まり、東京の小岩に戻り、総武線で新宿周辺の数軒を終えて再び千葉の松戸へ行き、更には品川区の荏原で終了したときは午後七時過ぎであった。
勿論谷中に戻って来るのが九時を越えていた。
体の疲労感は想像も及ばないが、気分的には恙なく終えた安堵感で満たされていた。
当然ながら家族そろって合掌して頂き共にお題目を唱えられたことは今でも懐かしく生涯忘れないだろう。
しかも未熟でアルバイト感覚の学生僧がお邪魔するにもかかわらず訪問する先々で快い歓待を頂いたことが何より嬉しかった。
故は、お檀家の皆様が長運寺様という菩提寺に誇りを持ちかつ大切にしている何よりの証拠であると思った。
法華経の信仰心なくしてこうまで育ててくれるはずがない。
四年間本当にお世話になった。
出掛ける前に御前様にご挨拶しにいくと、長運寺様の御前様は、ニコニコしながら「三田の誰さんはお経が達者だよ」とか「青砥の誰さんは必ず昼食を準備しているよ」云々と。
このさりげない言葉がどれ程の励ましになったか知れない。
真夏の早朝、谷中墓地を通り過ぎ日暮里駅までの道程は清々しかった。

人生相談 / 後継ぎ相談 : 岩手県金ケ崎町
2021.09.25

【過去事例】人生相談依頼
家業の農家を婿が後を継いでくれるか心配で相談がありました
自分も高齢でお米作りが大変になり、田んぼの跡継ぎのことを考えると夜も寝れない日々でした
跡継ぎ問題を運命鑑定しました
70代女性からの依頼でした
人生相談 / 後継ぎ相談 : 岩手県金ケ崎町

ペット納骨 / インコ(鳥) : 岩手県奥州市
2021.09.24

【過去事例】ペット供養依頼
学生の頃お小遣いを貯めて飼ったインコでした
日々鳥の音色に癒やされていたそうです
20代男性からの依頼でした
ペット納骨 / インコ(鳥) : 岩手県奥州市

令和3年 ペット慰霊祭
2021.09.23


令和3年ペット慰霊祭が無事に終了しました
私が飼っていた愛犬と他界して十数年、ペットロスで心を痛めた多くの方と手を合わせることが出来感謝でいっぱいです

明日はペット慰霊祭
2021.09.22


明日、9月23日はペット慰霊祭です
亡きペット(家族)に手を合わせましょう
『言葉は通じ合わなくとも心は通じ合ったあの日、あの時の感謝の気持ちを伝えましょう』

風の色(六)
2021.09.19

風の色(六)
自我意識が芽生えはじめた中学時代は思うことと行動が一致しないばかりか理想と現実の狭間にあって自身の人生を深く悩み苦しんでいた。
突拍子もない行動で大人社会に反抗したかと思うと、孤独でひとり沈み込んでは本気で自死まで考えていた頃である。
最初から敷かれたレール(お寺の跡継ぎ)の軌道を走らされるような思いに駆られて、どうにもならない自分の行く末を何度怨んだろうか。
それ故、僧侶の道を歩む上で納得する明確な理念のようなものが知りたかった。
よくその疑問を聞いてくれていたのが、おふくろである。
何度も疑問を投げかけるのだが、その都度おふくろは低く首肯いてただ聞いているだけだったが、有り難いことにそのことだけで心が休まるものだった。
その疑問というのは、偉大な釈尊が説いた佛道に仕え、かつ教化の立場にある僧侶が、何故他から尊ばれる立場にありながら、世間では大人同志が集まれば、「あの坊主は」と異口同音に批判をしたり蔭では悪口さえ云われているのはどういう訳なのか、真剣に考えざるをえなかった。
そして、そのような暗くて苛められそうな世間にどうして自分のような未熟な者が耐えていけるだろうかとの不安が常にあった。
かつての純真な心にはもう戻れないが、要は黙って「己れの人生を法華経に説く不惜身命の心で修行せよ」との教えに出会ったのは実に四十年後のごく最近のことである

パンフレットを作成しました
2021.09.18


昭和に建てられた当寺院は私で三代目です
親しみやすく仏教と触れ合える場所でありたいと思っています
新しい、時代にあったお寺のかたちを模索しています

★パンプレット制作
STRAWK様
https://strawk.jp/