風の色

祈りと信仰(二十二)
2023.04.16

祈りと信仰(二十二)
以前久慈高校で卒業担任だった頃、二三の生徒にせがまれて色紙攻めにあったことがある。
初め月並な言葉を書こうとしたが、種々考えた末、自分の今の心境を素直に表現することしかないと決め、『何をしたらよいか わからない』と、閑の過ごし方がわからない事を書いたことがある。
十九世紀の中頃、中国清王朝の曾国藩という人物は、常日頃から座右の銘として「四耐」を心がけていたという。
一つは、「耐冷」といって世間からの冷たい目で見られることに耐え、
二には、「耐苦」といってどのような苦しみにも耐え、
三には、「耐煩」といって煩わしさに耐え、
四には、「耐閑」といって閑に耐えることが大切であると云っている。
どれも実践出来にくい事ばかりであるが、特に最後の閑に耐える事が一番至難のようである。
何故かというと、閑になると欲に任せて、つい我が侭になって自分を弄び、空しい時を過ごしてしまうからである。
確かに若者にとって、閑は毒にこそなれ益にはならないが、人生の大半を仕事に費やした人にとっては、神仏が与えた閑と向かい合うことで人生の総仕上げともいうべき「自己と出会う」チャンスではないかと思う。
よく、京の染職人が、生地の発色を出すために、寒風の中、京の桂川で長時間水に晒す夕禅流しをするのも染色の総仕上げにかかせない工程である事を聞いたことがあるが、耐閑の意味は甚だ深い。