風の色

風の色(三十七)
2022.05.15

風の色(三十七)
つい先日まで、何故か心境の変化であろう。
朝の勤行前に、足の向くまま散歩していた。
五時半~六時に始める朝勤に間に合うためには四時半には起きなければならない。
夜明け前の冷気に身がしまるのを感じながら駅前にさしかかった時、数人のご婦人がビニール袋と小さな箒を持ち無言で清掃されている。
別な方は、路上に投げ出されている自転車を駐輪場に運んで整頓されている。
また、別な日には、お一人のご婦人が、公園に通じる大通りの歩道を清掃されていた。
薄暗い中で見たこのような光景に自然に掌を合わせずにおれなかった。
駅前が普段からきれいになっていることを改めて深く心に刻むと同時に気が付かなかった自分を恥じもした。
このような夜も明けない暗い中で黙々と清行に励んでいることなど殆どの方々が知らないでいると思う。
そこには単なろボランティア活動を越えた布施行の一分である身施(しんせ)を実践されているのである。
身施とは、身をもって仕事をさせて頂き、それを心から喜んで行うことである。
勿論その報いなどを求めない清い心を指していろものである。
ご本佛様のはからいか、この早朝の散歩からこうした尊いお姿を拝すろことができたことで、この娑婆国土も浄土の中に包まれていることを体験させて頂いた。
日蓮聖人は「佛道とは人の振る舞いにて候」と示されている。
身施も大切な振る舞いである。
短い間ではあったが、爽やかな早朝の日々を頂いたことをご本佛様に感謝している。
そして改めて、心向き一つで人の振る舞いが決まることを学ばせて頂いた。