風の色

風の色(四)
2021.09.05

風の色(四)
一月も寒に入り、夕方から夜にかけて寒修行がはじまる。遊びも雪面が凍りつく夕方がクライマックスであるが、この寒中の期間は、嫌な寒修行が頭から離れないためか夢中になれず、小さい時から自分の宿命(定め)を儚んでいた。
どうして自分だけが他の家庭と違うのか、遊びたい時に遊べない、何時も周りがお寺の小僧として監視されているようでならなかった。
だから、お寺に生まれたこと自体、前世の宿業ときめつける惨めな思いだけがあり、あるべき佛弟子としては、微塵ほどの誇りもなかったと思う。……(凡夫)
師父を先頭に多くの同行の信者さんと一緒に団扇太鼓を鳴らして門付けし、日蓮聖人の御妙判(御遺文の一節)を読み、最後にお題目を三辺唱えて次の家に向かう。
御妙判も毎日のように違っていたと思う。しかし、寒修行が終わる二月の節分ころには皆暗誦していた。意味など分かるはずないが、特に印象深く覚えている観心本尊抄の一節である。
「一念三千をしらざる者には佛大慈悲を起こし妙法五字の袋の内に此珠をつつみ、末代幼稚の首にかけしめ給う云々」であった。
しかし、寒風雪を払い、指から足の先まで凍りそうになっても、この一節だけは力が入った。
大きな声で唱えると、何故か、一念三千と大慈悲と妙法五字と幼稚の首(自分の首)がつながって、佛様が何んとなく自分の首に大切なものを授けてくれる約束みたいなものを感じたものだった。……(佛意)
今、心の奥底に流れるこの体験が信仰の原点と確信している。