風の色
- 風の色(四十四)
- 2022.07.10
風の色(四十四)
法華経の如来寿量品第十六の偈文(自我偈)の一節によると、
『この世というものは、凡夫の目で見たら苦しみ悩み多き煩悩の山(娑婆)で埋め尽くされているものである。
しかし、御本佛の目で見たら安穏な浄土そのものといえる。』とある。
このように、法華経は、娑婆がそのまま浄土であることを我等の現実生活の中で矛盾無く生き通すことを理想(成佛得道)とし、かつそれが可能だとしている。
当たり前のことだが、誰もが、この世が浄土でありたいと願わない者はいない。
してみれば、御本佛の目でこの世を生きるしかないといえる。
それを、別に言い表わすならば、御本佛の魂(妙法蓮華経の五字)そのものが凡夫の身に内包されていればこそ法華経の理想が得られるということになる。
もともと御本佛が成佛得道の丸薬を妙法蓮華経の五字の袋の中に入れ、末法に生まれてくる全ての我等凡夫の首に懸けさせている。
それを自覚することが凡身に佛心を観るということであり、それを信の一字で素直に受け入れることが妙法蓮華経に南無(帰依)して唱える南無妙法蓮華経のお題目ということになる。
従って、日蓮聖人の説かれる娑婆即寂光土、凡佛一如がお題目なくしてはあり得ないことと同時に、この「風の色」のテーマでもある全ての人々が真の自己(佛性を持っている存在)に出会って御本佛の道を歩むよう願わずにいれないのである。