風の色

風の色(十)
2021.10.17

風の色(十)
ここ数年、狭い境内ながら所々に紫陽花が色とりどりに咲くようになった。
朝勤の後、境内を歩いていると、その上をうねるように小さな蝶が戯れている。
お題目の余韻が体内から抜けていないのだろうか。
不思議というか、梅雨時の雨上がりに僅かな木漏れ日がさす風光にこちらの心が和む。
蝶や紫陽花に聞くべくもないが、兎に角、こちらの心が向こうから伝わってくる感じがするのである。
その風光にしばし時を忘れている。
あるがままに、妙法の響きとしか言いようがない。
抽象的な言葉でしか表現できなくて残念に思うが、それぞれの命が大きなはからい(久遠の本佛)の中に生かされていることだけは事実である。
拙抄「風の色」をお届けして早くも二年の歳月になろうとしている。
序でも書いたようにあらゆる命が不断に生かされていることへの永遠なる問いかけである。
どの道、今の私にとっては二足の草鞋だが、この現実に否定も肯定もしない。
教職も僧職も程よくバランスを保っていると思う。
様々な視点を持てることが現実を知る上で多いに役立っているからである。
しかし、私の問いは仕事を離れて裸の自分になった時、真に支えとなるものに出会うことではないかと思っている。
何時も、一凡夫としての修行に身を入れよとの声が遥か遠くから聞こえてる。
素直に心の耳を澄まして聞くしかない