風の色

風の色(十四)
2021.11.21

風の色(十四)
青年期の糸で限り無く愛しい思い出がある。
日蓮宗の本山である鎌倉の本覚寺で一ヶ月余り文字通り居候しながら大学に通ったことがある。
ここの貫首様は師父と親友の仲、好きなだけ居なさいと歓迎してくれた。
ことあれば法要に出仕してお手伝いする時があつたが、たいていは自由に振る舞えた。
そこで、この機会にと日蓮聖人のご霊蹟を訪ねたり、由緒ある史跡を歩きまわりながら静かで落ち着いた鎌倉の歴史的風土を存分に満喫した。
境内の雑用は仲の良い老夫婦が早朝から夕刻まで働き通しだった。
お二人は熱心な信者、境内の片隅の小さな庵に住まわれていた。
時々、遠慮しながらお邪魔したことがあった。
老夫婦は何時も明るく迎えてくれた。
立派な書院に半ば緊張しながら寝起きしている私にとっては自坊(水沢の寺)に帰ったようで、狭いながらも自然と気が和み親しみが湧いてきた。
ある時、老夫婦からこんなことをきかれた。
「気になさらないで下さい」と断って「書生さんの鼻の真中(急所)に傷跡がおありだが、どんな事情か分かりませんが、危ないところだったでしょう」と。
小さい頃に、二度も同じ所を怪我した体験をお話した。「書生さんはその傷のお陰で一生悪いことが出来ないね!それはきっとお釈迦様(久遠の本佛)のお計いですよ、有り難い傷と思って大切になさるんですな」と。
当夜、その言葉を繰返し繰返し、夜が更けるまで寝床で考えた。
ひそかに醜いと気に止めていた鼻の傷、見方によって尊く感じられた事に不思議な興奮を覚えたからだった。
今の今まで佛意のようなこの糸も切れないでいる