風の色
- 風の色(十八)
- 2021.12.19
風の色(十八)
先日、何気無しに月刊誌の広告欄に目が止まった。
ある佛教系大学の広告である。
『ある経験を、どのように受けとめるか。宗教というのは、受けとめ方の勉強だと思います。』とあった。
これを見て懐かしい想い出が蘇ってきた。
約三十年前の春も今頃だったと思う。
最初の赴任校である久慈高校に勤務して二年目、不摂生が原因で軽い胃潰瘍におかされた。
とは申せ何も咽喉を通らず下宿で一人静かに病臥している間かなり心身共に辛い日々が続いた。
しかし、唯一の慰めは枕元のラジオであった。
ある日の朝、七時半過ぎにNHK第二放送の古典講座「死にいたる病」(キェルケゴール著)を聴いて深い感動のあまり涙で枕を濡らした時の経験である。
その時率直に感じたのは、キリスト教とか佛教という観念的な見方にとらわれていた自分自身を恥じたし、そのようなものを遥かに越えた人間存在の根本にかかわる「汝との出会い」が確実に存在するということだった。
佛法では、縁起の法といって何事も因と縁によって成り立つことを説いている。
病気を因とすればラジオ放送は縁となり、「汝との出会い」に結びついていく。
縁も大切だが、就中、因の尊さを身に沁て感じた。
誰しも病気を苦とするのが普通、しかし、これをご本佛の思し召しと悟ればこれ程の幸せはない。
病気が因となり尊い「汝」の存在に出会う事ができたとすれば、まさに病気大菩薩様である。
それも病気に限らず、むしろ逆境の時こそ試されるように思う。
何時も己が心に向かって、貴方は《どのように受けとめますか?》と