風の色

風の色(十二)
2021.11.07

風の色(十二)
私は、法に仕える専門職である僧侶としての基本的な修行態度は、例えば、「佛道に叶う振る舞いの基本は、己の内にある心を観ることが大切である」と教わってきた。
二十代も後半のころ、お棚経に回っていた時の事である。
各家のお仏壇に法味を言上して御先祖様やご当家の家内安全を至心に祈るのである。
以前から老僧は「各家の仏壇に奉安しているご本尊(ご本佛様)に向かって、至心に祈ることを肝に銘じて歩け」という。
いよいよ内なる心を観る体験に出会う。
或るお檀家さんの家を訪れた際に「何のご用ですか?」という。
棚経で袈裟と念珠の姿を見れば一目瞭然の筈、しかし、迷惑顔で玄関払いにあった。
次のお檀家さん、お経中、決まってその家族はテレビに夢中、その音でお経の声を遮ってしまう。
終わって一礼して帰ろうとする後を追い掛けて玄関先で畳にすりつけて布施を出す。
黙して受け取らず、寂しくその家を後にした。
これを平気で受ければ物乞い坊主。
ちょうどそれは「布施をくれてやる」という態度。
所詮、それだけの自分と知るが、やるせない気持ちで次のK家を訪れた。
「おまちしていましたよ、さあさあ、お上り下さい!」
お経の最中、何故か私の目頭から大粒の涙が流れて止まらなかった。
この奥様の「惻隠の心」に感激したのであり、菩薩行の心を学ばせて頂いた。
足を棒にして棚経しても『坊主まる儲け』等の声まで聞いたが、耐えてきた。
ご本佛様の御心を頂いている事に限り無い感謝をしているから。
今もこれに似た事がままあるが、己の内にある心を観させる為の娑婆(忍土)の修行と思っている