風の色

風の色(十七)
2021.12.12

風の色(十七)
私は、しばしば旧い友から「あの人は変わった」と聞かされる。
自分では何も気がついていない筈なのだが、他人から見ればやはり変わったと映るらしい。
たまに幼い頃の夢を見る。
現に目を醒ましてみると、それは何時も決まって自分の姿がみすぼらしく、とても哀しく感じられるのである。
目醒めの暗さは今に始まったことではない。
それはそれで一生涯の付き合いと心得ている。
その要因を突き詰めたことはないが、思えば幼児期なのかも知れない。
余程得体のしれないものから抑圧されていたに違いない。
その得体の知れないものとは必ずしも厳格な師父とは限らない。
厳格な師父に似た家と言えば、当時ならザラにあったことで、むしろ、お寺という宿命的な環境の総てなのかも。
兎に角そこを離れては自己の存在がないという抑圧だろうと思う。
早朝、未だ暗い本堂へ向かう。
未明の夢が胸元から離れず一緒に歩いている。
勤行が終わるころには東の窓格子から無量の日の光りが差しかける。
たなびく香の紫雲に別れを告げて本堂を去る頃には、未明の夢は伴うこともなく居間に戻る。
どちらが本当の自己なのかと問うている。
例えば、私の変わったと見える姿は、後の部分だろう。
しかし、前の部分はなかなか見えないし見せない部分である。
所が、正直に言えば、青年期のころから見せない部分で素直に生きてみたいと必至だった。
しかし、所詮、中途半端でしかなかった。
また、これが私の宿命(定め)と言い聞かせて今日まできたのも事実である。
これを素直に受けて、この両面を行ったり来たりするのが人生であると最近思うようになった。