風の色

風の色(十一) 
2021.10.24

風の色(十一)   
大学三年の夏のことである。
身延山の西谷にある信行道場で法友と修行を倶にしたことを思い出している。
信行道場とはいわば日蓮宗の僧侶資格を得る初門で、三十五日間、文字通り止暇断眠、行学二道を修める所である。
毎夜、就寝前である。決まって主任先生は法華経の読誦の後にその部分を講義された。
道場生の大半は睡魔に襲われてそれこそ夢中で聞く始末。
前後不覚、誰とも知れず突然に床に頭を打つ音で一時皆が目を醒ますことしばしばであった。
講師先生は何も注意せず淡々と話されている。
耳を立てて聞いている者だけに向かっておられる。
しかし、時に講師先生は本論からやや脱線してご自分の体験談を述べられることがあるが、そんな時に限って目が醒める私は、不思議と本論より脱線部分が印象に残っており今でも記憶に新しい。
「ある日、師匠に随伴してよそのお寺さんに法要に行った時である。そのお寺さんの恒例で法要前には必ず法話をする慣わしであった。所が法話をする予定のお上人様が都合で来れないとのことで、俄にその代役を仰せ仕った。当然のことながら師匠も断わってくれると思っていたがさにあらず逆に師匠に説得されてしまい、法座に立つはめになった。急なこと故何を話したか一向に覚えていない。とにかく恥をかき、その上聞く人に大変迷惑をおかけしたことが悔しくてならなかった。しかし、それ以来というもの坊さんはどんな時にでも布教師としてお話できるように日頃から研鑽を深めなければならないことを悟った。云々」と。
今も尚、継続してこのことを謙虚に受け止めている。
今夏、愚息、宣周(周を改め)は、同じ信行道場で何を学んでいるのだろうか。