風の色

風の色(六)
2021.09.19

風の色(六)
自我意識が芽生えはじめた中学時代は思うことと行動が一致しないばかりか理想と現実の狭間にあって自身の人生を深く悩み苦しんでいた。
突拍子もない行動で大人社会に反抗したかと思うと、孤独でひとり沈み込んでは本気で自死まで考えていた頃である。
最初から敷かれたレール(お寺の跡継ぎ)の軌道を走らされるような思いに駆られて、どうにもならない自分の行く末を何度怨んだろうか。
それ故、僧侶の道を歩む上で納得する明確な理念のようなものが知りたかった。
よくその疑問を聞いてくれていたのが、おふくろである。
何度も疑問を投げかけるのだが、その都度おふくろは低く首肯いてただ聞いているだけだったが、有り難いことにそのことだけで心が休まるものだった。
その疑問というのは、偉大な釈尊が説いた佛道に仕え、かつ教化の立場にある僧侶が、何故他から尊ばれる立場にありながら、世間では大人同志が集まれば、「あの坊主は」と異口同音に批判をしたり蔭では悪口さえ云われているのはどういう訳なのか、真剣に考えざるをえなかった。
そして、そのような暗くて苛められそうな世間にどうして自分のような未熟な者が耐えていけるだろうかとの不安が常にあった。
かつての純真な心にはもう戻れないが、要は黙って「己れの人生を法華経に説く不惜身命の心で修行せよ」との教えに出会ったのは実に四十年後のごく最近のことである