風の色

風の色(二十八)
2022.03.06

風の色(二十八)
今は亡き師父は、昭和五十六年、私に住職を譲ってから、隠居の身として暮らすようになった。
この年が丁度、宗祖日蓮聖人の第七百年遠忌に当っていて、師父もこの機会に法燈を私に託したものと思われる。
私は、終身現役で住職の任にあって欲しいと願っていたし、その方がむしろ心身共にふけることなく健康でいられると思っていた。
しかし、師父は、何の迷いもなく隠居を決断して自ら手続きを済ましてしまったのである。
普通なら師弟の間に後継の確認ぐらいはあるものと思っていたが、この時の師父の心境には師弟の間柄というよりも、むしろ親子の情に傾いていたような気がしている。
多分、私に法燈を継承しても安心だというより、後はお前に任せたから好きにせよという軽い気持であったと思っている。
この時の師父は世寿八十二歳である。
案に違わず、めきめきふけ込んでいったが、私が病気で入院した途端、またもとのように元気を回復した。
これが佛法に仕える最後の機会と思って毎朝勤行に精を出したようである。
私が退院すると、殆ど部屋に閉じ篭もり、何故かよその人を避けるようになり、専ら好きな本を読んだりしていた。
その内、次第に体力が衰え寝込むようになった。
そして臨終までの七年間、病いとほどほど仲良く暮らしたと思っている。
その生き様は、何の不平もなく、感謝の一念、任せっきり、何事もよきにはからえであった。
何事かを問えば、その返事が笑顔であったのが印象的だった。
このような生き方の善し悪しは別として、老いの生き方を沢山教えて頂いたと思っている。
まさに法華経信仰の賜物と深く肝に銘じている。