風の色

風の色(二十二)
2022.01.23

風の色(二十二)
真夏の夜の夢と言えば限りなくロマンが広がりそうであるが、私の場合、恐ろしくて怖い夢ばかりである。
夢の発信地を訪ねて、己が心を家宅として表現すれば、中央に「不安の部屋」、片隅に「安心の部屋」があるようなものである。
小学校五年生の秋である。
何時ものように、早朝から師父の読経で目が醒め、棒のようになった体を起こして眠い目をこすりながら本堂へ向かったが、何故か瞼が腫れていて目が開かない。
合掌してお経を読もうとするが経本の文字がぼんやりとして一向に見えない。
声さえもでないのである。
師父の強烈な喝が体全体に響いてくる。
しかし、この日だけは覚悟し「もうどうなってもよい」と。精神力も力尽きて悔し涙を流しながら横臥してしまったのである。
おふくろは慌てて病院へ連れてった。
診察の結果、急性の腎臓病だった。幸いにして安静という条件で自宅療養で済んだが、気怠い病床の中で、どうして病気になったのか、どうして事あるごとに叱られるのか、どうして寒寺に生まれ、どうして自分だけが早朝から勤行しなければならないのか等々子供ながらすでに一種の暗い宿命のようなものを感じていた。
内心、師父への反発と普通の子供に生まれ代わりたい一心であった。
きっとその葛藤の中で「不安の部屋」が心の真中に永住するようになったと思う。
しかしながら、もしかすると、私という存在は、この「不安の部屋」によってこそ生かされてきたともいえる。
それが「祈り」や「信仰」を呼び起こさせるもとになっていると確信している。
その意味で私にとっての真夏の夜の夢は、はかり知れない銀河の果て(本佛)からの送信(メッセージ)に思えて実に有り難い。