風の色

風の色(三十九)
2022.06.05

風の色(三十九)
例年のように親戚に新年の挨拶をして自坊に帰る途中である。
その車の中でカミさんが、ある仕出し屋さんとの会話を話してくれた。
「この辺りは、昨年の暮れから新年にかけて死んだ人が沢山いるの、葬式続きであそこのお寺さんもそれはそれは忙しくて大変だったようヨ。」
「そういえば、あんたの方の寺も忙しいの………?」
「……… 私の方のお寺はね、お葬式が無いんだけど兎に角忙しいの!」
「…………………………………?」
仕出し屋さん、首をかしげて不審そうな顔をしていたというのである。
車中でカミさんが呟く、
「………お寺のことってほんの一部しかわかっていないのネ!…………」
確かに葬儀や法事が中心のお寺さんは忙しい。
仕出し屋さんが言うとおりである。
拙寺は、その意味では檀家も僅少であるからいわゆる葬儀もなくヒマな部類である。
ところが、決してヒマではなく忙しいのである。
人生相談、信仰や祈りを通じての生き方、家族問題や事業等と訪ねて来られる方が少なくない。
実のところ当山の檀信徒でさえ、私(僧職)の本務が葬儀法事だけと思っているのが現実である。
ましてや世間の大方は、死んだ時だけ来るところがお寺と思っていても不思議ではない。
ご本佛様にとってこれほど悲しいことはない。
それは真の佛法の意に反するばかりか、人生で最も大切な生き方を示している佛法と出会うことなくこの世を去る人の多いことを嘆くからである