風の色

風の色(七)
2021.09.26

風の色(七)
檀信徒の各家々のお仏壇に向かってお経をあげて歩くことをお棚経という。
本格的に始めたのは大学時代である。
老僧と昵懇の関係にあった東京は台東区谷中の長運寺様にお世話になり、春秋のお彼岸そしてお盆と年に三回(延べ十五日間)お棚経の経験をさせて頂いた。
一日平均十三、四軒だったが、早朝より日が暮れるまで足が棒のようになるまで歩いた。
まず早朝千葉の柏市から始まり、東京の小岩に戻り、総武線で新宿周辺の数軒を終えて再び千葉の松戸へ行き、更には品川区の荏原で終了したときは午後七時過ぎであった。
勿論谷中に戻って来るのが九時を越えていた。
体の疲労感は想像も及ばないが、気分的には恙なく終えた安堵感で満たされていた。
当然ながら家族そろって合掌して頂き共にお題目を唱えられたことは今でも懐かしく生涯忘れないだろう。
しかも未熟でアルバイト感覚の学生僧がお邪魔するにもかかわらず訪問する先々で快い歓待を頂いたことが何より嬉しかった。
故は、お檀家の皆様が長運寺様という菩提寺に誇りを持ちかつ大切にしている何よりの証拠であると思った。
法華経の信仰心なくしてこうまで育ててくれるはずがない。
四年間本当にお世話になった。
出掛ける前に御前様にご挨拶しにいくと、長運寺様の御前様は、ニコニコしながら「三田の誰さんはお経が達者だよ」とか「青砥の誰さんは必ず昼食を準備しているよ」云々と。
このさりげない言葉がどれ程の励ましになったか知れない。
真夏の早朝、谷中墓地を通り過ぎ日暮里駅までの道程は清々しかった。