風の色

祈りと信仰(十三)
2023.02.12

祈りと信仰(十三)
師父の遷化以来、夢幻の如く過ぎ去った今、ようやく心も平常に物静かにあの炎天の影を追って葬送の有様を思い浮かべている。
死期に間に会わなかったあの時、何故か必死に呼び掛けようとしても咽喉の奥から声が出てこない。
普段の熱を推し測るようにそっと額に手をあてた時も未だ温もりがあったし、師父は生きいるように思えたが、翌日の闍維(僧の荼毘)が済んで遺骨を抱いた時の温もりによって師父との本当のお別れであると覚った。
同時に人間として尊厳なる死と生の意味を体験させて戴いた。
私の人生四十九年が間師父との関係の総てがこの一瞬の定めとなっていたことを。
これ以上言葉に尽くせないが、強いて表現すれば、共に法華経信仰という絆で結ばれていたればこそ体験出来たと言えようか。
そこで、死そのものの尊厳さについて感じたことは、決して他界する者の生前の偉大さとは関係が無く、むしろ、死にゆく者と存命する者との宗教的な在り方に関わっていることではないかと思った。
常々より師父の臨終の際は、法華経の経文を読誦して幽冥の世界へ送りたいと願っていたが、ほんの一瞬の間のことだったので、それも叶わず何か心が晴れないまま暫く悔いが残っている。
しかし、今は何の煩いも無くすべて任せきった師父のあの顔猊が心から離れず、その幻影を思い浮かべては徐々に慰められのも有り難く不思議に思っている