風の色

祈りと信仰(五)
2022.12.11

祈りと信仰(五)
明治の文豪夏目漱石は、「私の個人主義」の中でイギリスでの体験から次のようなことを述べております。
『この国は何よりも人間の自由を大切にする所で、日本とは比較にならない。では何をしても自由かというと、そうでなく小さな子供から大人に至るまで常に相手の自由をも尊ぶ精神があって社会が秩序正しく成り立っている。』と。云々。
勿論、明治時代の日本人の社会通念からすれば異質な国の風情に映ったのも当然といえます。
また、日本人として彼がこのような異文化から受けた衝撃は一方では歴史の姿以上にもっと根源的な違いを見抜いていたと思われます。
所で、この漱石の文明比較を単に現在の私たち日本の姿(無秩序な自由の氾濫)にスライドさせて見ると、一体日本人は明治時代から何歩進んだのかと疑いたくなります。
まさに今の日本は、ひたすら留まるところの知らない私利私欲の特急列車に乗っているようなもので、ブレーキがあっても故障状態といえましょう。
当時のイギリスの社会に根ざしていたもの、それは信仰だったに相違ありません。
敬虔な神への祈りを大切にする人々にとっては、必要以上の豊さを求めないのが普通でありますし、物と引き換えに大切な心を持つことに人間としての価値や誇りを見出した証拠です。
この辺に人間社会の基本的な秩序があるように思います。
では我々日本人が何故このような秩序を育まなかったのでしょうか。
これは大変大きな問題といえます。