風の色

祈りと信仰(五十五)
2023.12.17

祈りと信仰(五十五)
本来、佛教は、私たち自身が佛の子としてこの世に存在している事を前提に考えなければよく理解できません。
そして、このことを信ずる心にはじめて佛教的世界観や人生観が生れてくるものと思います。
佛の子としての自覚があることによって自分があらゆるものに生かされていることに気付かされるものです。
いわゆる「自分」は、エゴ(自分本意)ですから佛子であることに気がついていない状態です。
すべてが佛の世界の中に抱かれている事がわかれば、「自分」から解きはなれた真実の「自己」に出会うもの(成仏の姿)なのです。
真の信仰というものは、その場その場で自分の尺度で転々する(ご都合主義的信仰)ものではない筈です。
所で、人間の心というものは、古来より一瞬たりとも同じ思いを持続することが不可能に近く、ある意味で、でたらめな所があります。
誰しも心から信ずるものが欲しいと思うものです。
信じていた筈のものが突然裏切られたような気持ちになることがあります。
親子・夫婦の関係でも信じきって生活していたところに信じられないようなことがおきてしまい慌ててわが身を失いかけます。
しかし、ここで大切なのは、私ども凡夫は、その何を信じたのかです