風の色

祈りと信仰(二)
2022.11.20

祈りと信仰(二)
法華経が説く教えから見て、この二つの関係について申しますと一念からの祈りがあってこそ生活に恵まれそのような生活によって更に祈りが深まっていくものでありますから、いわば相互に一体となって佛様の御心を受け取ることが出来るようになるものです。
だから、特別なはからいがなくとも自然に手足が動くように尊い菩薩行の生活をいただけるのです。
もともとこのような状態が続くことが私たちが理想とする世界であり、同時に何時でも何処でも常に法を説いている久遠の世界から佛様の大慈悲心がはたらいているため、結果的には一念信解のお題目によって私たちの祈りが叶うということになるのです。
信仰によってでなければ得られない現証(祈りが現実のものとなる)によって祈りの意味が体全体で感じることになるのです。
さて、日蓮聖人は信心が強い人ほど諸天からの守護も厚いとお示しになっております。
ところが、それを自分の都合の良いほうに解釈して強欲なまでに欲得ばかりの祈りをしたがるのが我々凡夫の哀しいところです。
しかし、祈っている本人が一番そのことを知っているので、「こんなことではいけないなぁ」という反省の気持が心の奥底から聞こえてくる。
それが佛様の御心なのですからありがたいと思わなければなりません。
その反省の声に心から耳を傾けて正しい祈りに戻らなければ、日常生活も気持の奥にひそんでいる強欲な心がわざわいしてしまいます。
言いかえて申すならば、祈りとは、ご本佛からのはたらきであり、生活とは、それに応えるはたらきとなり、お題目修行の肝心であり、成佛の直道ともいえます。