風の色

祈りと信仰(二十三)
2023.04.23

祈りと信仰(二十三)
毎朝の勤行はご本佛様や十方の諸菩薩様に対する挨拶と祈りである。
もともと挨拶とは「ここに自分がいます。よろしく」と云うことである。
私事で恐縮だが、今の息子や娘が誕生した時に果たして初対面の挨拶をしたろうかと反省している。
今思えば、心から「ようこそお誕生おめでとう」と云って挨拶したかったが今では遅い。
そのくせ生後ときたら、無礼極まりなく言葉の乱射を浴びせてしまい、言い過ぎた言葉だからといって相手の心に消しゴムを当てれないから悔いを残しつつ諦めている。
また、師父の臨終の時も「お世話になりました。さようなら」の言葉もかけれなかった。
つまりきちんと挨拶ができなかったのだ。
何故だろうかと己の心に問いつつ深く懺悔している。
ちなみに上杉謙信の「遺訓」十六カ条の中から一つを紹介してみる。
『心におごりなき時は人を敬う』
何事も自分だけで生きている時は本当の自己が見えないから、相手を敬う心を失ってしまうもので、古今に通じる道理である。
さすが、上杉謙信、自ら毘沙門天の化身としての祈りであり、かつ挨拶だったに相違ない。
一方、人間の顔は、心のひだの表現である。言葉は次に出てくる。
だから心のこもらない言葉は常に不自然で、顔も心のひだが映るからごまかせない。
神仏を鏡に、己を照らして生きている方々を見れば一目瞭然である