風の色

祈りと信仰(二十一)
2023.04.09

祈りと信仰(二十一)
先日、ある大手の会社に勤める部長の娘さんから、ふとした事で父親の思いもかけぬ姿に出会い、普段の家庭での姿とあまりの違い差に衝撃を受けたことを聞いた。
たまたま父のもとへ届ける用事があって、その朝父の会社に寄った時の事だそうである。
急ぎ足で玄関先に現れたのが父だった。
何やら車から降りた社長のような人に近づいて丁重に頭を下げて挨拶をし、すぐその方の持ち物をすぐ小脇に抱えてかなり緊張した顔で先を歩く姿を垣間見て、家庭ではこせこせしない大らかさをもつ泰然自若たる父親を誇りにさえ感じていたが、あの日の父は別人でないかと目を疑ったというのである。
宮仕え故の男の苦労は家族の目には毒である。
所で、男だけの苦労かと云えばさにあらず、滅多に夫にお茶をだしたことのない会社勤めの婦人が、毎朝社員にお茶をサービスするという話も聞いたことがあるが、職業柄とはいえ、共に虚像でありたいものである。
では、何処にいる時が、本当の姿なのかと考えるが、意外と嘘の自分なんか何処にもなくすべてが本当の姿なのかも知れない。
つまるところ、虚実が表になり裏になったりするのが人間の偽らざる姿と云うべきだろう。
実に、心の舵取り一つでどんな役柄をも演じる人間は不思議な存在である。
しかし、果たして誰もがその不思議な存在と気がついて生きているだろうか。
法華経は、それに気がついてはじめて真の自己に出会うと説いている