風の色

祈りと信仰(九)
2023.01.15

祈りと信仰(九)
「隠れての信あれば顕れての徳ある也」
日蓮聖人ご遺文《上野殿御消息》
よく「風雪の人生」等と云えば、世間の荒波に辛抱強く生き抜いた方の事である。
淋しいかな、今の世の中では老樹と同じく過去のものとなった。
そもそもこの表現自体、何かやるせない人生の悲しみを含んでいる。
世間や自己に挫折しつつも、なお踏ん張って大志を貫こうとした足跡を半ば称揚したものであろう。
一方、同じ人生を樹木の年輪に喩える時がある。
自然の摂理は間違いなく月日を刻んでいく。
人間の営みとは道理を異にして虚偽がない。
所で、人間にも樹木の年輪に匹敵するものが沢山あるが、目に見えてこれだと断言するものはない。
せいぜい体力の限界を感じたり、しわが増えたとか、腰が曲がってきたことくらいで、いたずらに年を数えても老樹のような風格は期待出来ない。
老樹は無言で我々の心に「人生の心根」を教え、気持をなごませてくれる。
真の隠徳とはこのようなものであろう。
信仰のある人は、逆に風雪もある。
心を磨く生き方だから覚悟の上である。
真の信仰は自らを灯すのみならず他をも明るくするものだから、重ねれば信心の輪が刻まれていく。
「心の年輪」といえる。
これは、自行利他にわたる信仰年齢であって、高齢だから即隠徳とはならない。
心は口ほどにものを云うが如く、佛のお姿でもある。
とくと老樹の心を知るべきである。