風の色
- 祈りと信仰(三十七)
- 2023.07.30
祈りと信仰(三十七)
信じていた筈のものとは、一体どういう事なのでしょうか。
私たちの生活で大切なものは、お互いの信頼関係にあることは云うまでもないことです。
所が、日常生活でも一寸したことで、親子・夫婦・友人関係で思いもよらない気まずい関係に陥ることは、誰にも経験のあることと思います。
しかし、何故、このようなことが生ずるのでしょうか。
釈尊が一言でもって諭されたのは、「執着」なのです。
いうならば「こだわり」です。
自己にも、相手にも固定的な立場(我)で見てしまうので相手は勿論のこと自己についても正しいありのままの姿をとらえることが出来ません。
この現実がただ一時でも止まっていない無常であるということを教えておられるのです(無我)。
それをあの人は以前こういう人であったなどと今もそのように勝手な思い(我)をしてしまったり、天気予報でも昨年の今頃が非常に寒かったからといって今年が必ずしもそうなるとは限りません。
現代社会は科学技術が飛躍的に発達しておりますので、統計的に物事を判断する傾向が多いので、たいへん危険な思想が蔓延致しかねません。
人間の自然な心が失われる大きな原因といえます。
お話を前に戻しますと、私たちが何を信じていたかと申しますと、それは、お互い個々に変わっていくものを変わらないかのように勝手に信じたのです。
そこに根本原因があった事に気がつかなかったのです。
釈尊は、この根本真理を説いたのです。瞬時に変化する事実をありのままに見る事を教えられたのです。
これを法華経の思想からもうしますと「諸法実相」と申します