風の色

久遠のみち(五)
2022.09.04

久遠のみち(五)
数日前の晴れ渡った夜であった。
本堂の斜め向かいにひっそり佇む老梅の前を通り過ぎようとしたが、月光に映された老梅の影に何故か足が止まった。
見上げると薄白い花びらがやや光を放っているようだった。
何となく梅の咲く悦びが伝わってくるように感じた。
芭蕉の句に、「春もややけしきととのふ月と梅」とあるが、古来より月と梅は抒情を誘う相性のいい風景なのかもしれない。
ところが、四月初旬なのに、突然の寒風と雪が襲ってきて辺り一面雪化粧と変じた。
漸く開いた花びらにもこんもりと積もっている。
朝勤のあと本堂から見ると凍てつくような寒さに震えていないかと心配で痛々しく思い幾度と無くお題目を唱えて合掌した。
しかしながら、この梅も何も文句も不平も言わずに逞しく花を咲かせ、やがて木の実をつけ種子を遺して種族保存の使命を果たしていくのである。
実に不思議である。
思わず老梅の魂に温かい声援を贈りたい一心でお題目を唱えたのである。
「ありがとう」の感謝の一念で!
普段からこのような当たり前のように思っている様々な現象を見過ごしていることにハッと気ずかされるのである。
沢山の不思議さを発見する度に自らの感性が磨かれると固く信じている。
我々人間は、常に孤独なのではなく日常生活の中で、ありとあらゆるものと一緒に生かされていることをもっと身近に感じてもよいと思う。
久遠の生命体(妙法蓮華経の五字)とは、個々の存在とその使命をを全うさせる大慈悲心である。
たまたま人間だけが五官を通して認識できるもので、人間以外にも久遠の生命体があるということは、自然界と人間界が融和している何よりの証拠である。